こんにちは。
今日もお立ち寄り下さり、ありがとうございます(^_^)



身体の不調は辛いものですが、それでもエイブラハムは、「健康」に焦点結ぶように言います。

確かに「健康」が本来の状態であるならそれが望ましいんですが。

実際、この現実に身体の痛みが伴う場合は難しいですよね??

それでも、「健康」を思考するべきなのか?
それとも、この「不調」を認めるべきなのか?
はたまた、「健康」とは違うところに「いい気分」を探すべきなのか??


うーん(^_^;)

「現実」は、以前の思考が作り出してると言われても、この背中の痛みとか、疲労感とか、胃痙攣になりそうな胃の痛みとかは、どうなのー??

それとも、ただの不摂生?



うーん(^_^;)



これは、現実問題が苦しいって時に無理にアファメーションするのと似てるなあ。


とりあえず、いい気分を探すことが先決だとしたら。


「身体が疲れてるのを認めて、ケアに徹してあげる」ってのが、出来そうなとこかな。




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太陽の光だけは、毎朝エネルギー満タンです(^_^)

ぐっと寒くなりましたので、皆様、体調お気をつけて。