高橋是清(たかはし これきよ)がその生涯を通じて残した、軍拡に対する警鐘を物語るエピソードは有名です。

昭和初期、軍部が暴走して軍事費(国防費)が膨れ上がる中、大蔵大臣としてこれに最後まで抵抗した高橋是清は、以下のような理念を持っていました。

  • 軍拡は「いっとき」の平和: 兵器を増強して軍事力で抑え込む平和は一時的であり、長続きしない。
  • 財政の限界: 際限のない軍拡競争は国の財政を破綻させ、国を滅ぼす。
  • 外交の必要性: 平和は兵器ではなく、外交と相互理解によってもたらされるべき。

彼は、1936年(昭和11年)2月26日の「二・二六事件」で、まさに軍部から暗殺される直前まで、この軍事費削減(国防費の縮減)を主張し続けていました。その姿勢は、当時の陸軍から「軍の敵」として憎まれるほど徹底したものでした。 [12]

当時の日本において、軍の力を背景とした「兵器による平和」は持続不可能であり、最終的に壊滅的な結果を招くことを、高橋是清は歴史的観点と財政感覚から正確に予見していました。