言語化はできないんだけど、わたしの中にある謎が、占星術の学びをかきたてている。その謎が何かもよくわからない。なぜわたしが小学生の時、天文学者になりたかったのか、なぜ占星術や人の生き様に興味があるのか、追究することでわかる気がするのだ。
小学生の理科の授業でお手製の星座版を作った。それを手にして、母と一緒に星座を探した。その時に初めて『星座』として認識したのが、『はくちょう座』。今でもあの時にみたあのはくちょう座が一番美しいと思っているし、どれが一番好きか聞かれたら、間髪入れず『はくちょう座』をピックする。
こないだ海部舞さんの『恒星占星術』の本&動画講義を申し込み、今日やっと配信を聴き終えた。ワークをしてびっくりしたのが、わたしのネイタルチャートのACに関わっているのが、はくちょう座のデネブ…!オーブ3度以内には、フォーマルハウトやサダルメリクもあるけど、はくちょう座贔屓のわたしには『デネブ』。なるほど、シャーマンの星…!わたしがこの数十年、興味のある分野のヒントはなんと小学生ですでに受け取っていて、だけど幼く自分の力で生きていけないわたしにはただただ夢物語でしかなかった。
宇宙はシンプル。全てのものは音を奏でている。音=周波数の共鳴はいろいろあれど、さまざまな小惑星やアスペクトなどは複雑過ぎて感覚で捉えられない。だから、1つのチャートはシンプルに、でも多角的に見るためにわたしはいろんなチャートを見ている。
占星術の起源は絶対にサイデリアル方式だったはず。それが、トランジットとインド占星術には残っている。地球の集合意識帯で生きるのが西洋占星術、宇宙意識で生きるのがインド占星術。インド占星術ですら、わたしには隠されているものを感じる。南インド式チャートはわかりやすいけどこれで星はみないだろうな。これこそ何か封印されていると感じるから。今、習っているインド占星術は日本時間換算ではなく、インド時間換算でチャートを出している。なぜインド時間なのか理由を聞いて理解はできるが、感覚はまだ追いつかない。リシに意識を合わせる真意を掴めてないからだ。これはいろんな人のチャートを見ていけば掴めるのかな?
で、また恒星占星術に話を戻して、わたしのヘリアカルライジングスター(生まれた時の、太陽と共に登った星)は、双子座のアルヘナ。
地上と宇宙的な原理はズレがあるため、地上に接触した時に傷を受ける…この神話からわたしは自分の性質に笑ってしまった。ああ、このズレが嫌できちんとしたいのだと。あるべきをあるべきようにするために変革していきたいというのが、仕事でもよくあらわれている。
この恒星占星術…これ単体で何を伝えるべきかはよくわかってないけど少なくとも星好きのわたしにはとても魅力的な講座だった!
