わたしは大学では日本史学(日本中世史)を専攻した。大学卒業後、社会人になって5.6年目ぐらいで通信制の大学に通い、歴史遺産学を修めた。卒論のテーマも再び室町時代…。いずれも『The 文献史学』。
第一級史料と呼ばれるものの信憑性が高いため、それらのできる限り正本で研究することが望まれる。ただ、古い時代になればなる程、手に取ることはもちろん、文字史料として残ってことすら難しい。さらに付き纏うのが、『歴史は勝者の歴史』である点。例えば、鎌倉時代の基本史料である『吾妻鏡』も…。必ず『玉葉』など複数の一級史料とともにあわせてみて、事実関係の裏付けをとる。これが、わたしが学んだ『文献史学』の基本。
実年齢大学生の時、人の意識が気になって軍記物を研究した。社会人大学生の時、結果を出した方がいいと思って、そちらにフォーカスして研究して、新知見を見出した。そのあと、燃え尽き症候群のように歴史の研究…という意味ではやらなくなった。
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思い立って、奈良県桜井市にある長谷山口坐神社をお参りした。奈良にはいくつか山口と名のつく神社があり、ここは大和六処山口神社の一つ。伊勢街道にある。そして元伊勢と呼ばれる一つの場所でもある。
境内でその神社を守っているお爺さんに出会っていろいろ話し込んだ。たぶん1時間程話したと思う。その中で2つ、わたしの中でぴーんときたことがあった。
一つは、なぜ天照大御神が伊勢に移っていったのか。これを書くのは大変憚られるのだけれども、天照大御神を主人公にした天皇を中心とした国家形成のストーリーなのではないかと。地の利を考えたら、いろいろ合点がいく(ここではここまで表現することが精一杯です…)。わたし、これ絡みの過去世がたぶんありまして、知りたいような知りたくないような…![]()
もう一つは邪馬臺国。わたしは大和説派である。どうしても『魏志倭人伝』という文献がゆるぎなく君臨しているため、九州説が有利ではあるけれども、邪馬臺国はやまと。卑弥呼の後継者である臺与(とよ)の漢字と読みからも『やまたいこく』ではなく『やまとこく』と思っている。巻向遺跡、箸墓…これこそ邪馬臺国の時代のもの。九州、出雲などにも大きな文化圏はいくらでもあり、たまたま邪馬臺国が謎で有名なだけに、何かに当てはめようゲームになっているだけ。宮内庁管轄だから箸墓の内部調査は未だ許されていないけれども、倭迹迹日百襲姫命は可能性は高いのでしょうね。卑弥呼という名の人物は絶対に見つからない。日の巫女を魏側からみた蔑称と思ってるから(邪馬臺国の邪も)。


