お土産でいただきましたv(^-^)v
今年は「修業」について何度か考える機会がありましたので、つらつら書いてみました(・∀・)
あくまで私の考えですので、こんな人もいるのねくらいにゆる~く読んでいただければ幸いです。
一度目は とあるスピリチュアルカウンセラーの先生にお会いした時。
一度だけお会いしたことがあるその先生。
雑談していたら
「自分は辛く苦しい修業をした、大変だった、でもやり抜いた」
と仰るんですね。
これがまた中々のアピールだったので
あれ、これはひょっとして自慢だったのかな?と……←遅い
ぼんやり聞いていたのでそれについて何もコメントしないまま別の話題を振ってしまいました。
二度目は例の癒しフェアの取り憑かれてるフィルチ先生です。
「私はこんなにあんなに修業をしたのよ!
あなたは何を修業したわけ?
あれとこれはしてないわよね⁉︎
◯×△#@&!!」
←なんだか怒られたけど面倒になって聞いてない
それでこのリーディングかいな…。
あなたの後ろにちょっと違うもの憑いてるような気が…。
と内心思ったり。
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私のガイドさんは山伏さんで大変厳しいです。
が、私は滝に打たれたり崖から身を乗り出したりといった修業はしていません( ̄ー ̄)
おまけに水は怖いし高所恐怖症だし洞窟なんかも生き埋めにされそうで絶対入りません。
過去に一度直接会ってくれて(この表現でいいのかな) 対峙して指導してくれたことがあります。
入浴時に突然やってきた白昼夢のような感じで、
熊野古道のような場所で山伏の皆さんに技の伝授の儀式?をしてもらったり質疑応答をしました。
山伏といえば激しい修行。
「私は何も修行をしてないんですけど、
術を教えていただいていいんですかね…?」
と疑問に思うことを聞いてみました。
返ってきた答えは
「人生が、生きることが修行だからあらためてする必要はない」
( ̄□ ̄;)!!
素晴らしいことも沢山あるけど、生きるってしんどいし辛いし大変だしね。
そんなわけで、それ以来滝に打たれたい人は打たれればいいし、
やりたい方が個人の裁量で行えばいいと思っています。
※現役の修行僧の方ではなくてあくまで一般人で。
現役の修行僧って言葉あるのかな(^▽^;)
それとは別に学びたい人は周り全てから学ぶでしょうし、
書物から、他人から、毎日の生活から、自分の心の中を見つめて学べばいいのではないかなと。
苦しい修業をしたし、辛い体験もしたから私ってその分偉くてすごいのYO!
こういうスピ関係者に沢山お会いしましたが、苦しんだからすごいんじゃないってこと。
本当に得た学びは人に自慢したり
自分を人より高い位置に置くものではないってこと。
偉そうに書きましたが、お前は学ぶことをまず始めろよと後ろからツッコミが入りそうです(;´▽`A``

