そして部屋から出て来たのは・・・

葉子の祖母の妹、木綿子夫婦だった。

「おばあちゃん、どうして?」

「葉子ちゃん。私たち、すごく心配してたのよ。」

柴田弁護士が葉子に言った。
「実は葉子さん、あの電話の事ですが・・・」

だが木綿子が静かに笑いながら、柴田を目で制した。
「それは私からお話ししますよ。」

「えっ、なに?」

「あの電話をかけたのはうちの人なの。」

「どうして?」

「だって葉子ちゃんの事だから、無茶な事をするんじゃないかと思ってね。うちの人にかけてもらったの。」

「葉子ちゃん、脅して悪かったね。うちのやつが心配するもんだから、しようがなくてね。あれでもテレビのサスペンスドラマを見て研究したんだよ。」

「そうだったの。」

葉子はあの脅迫電話を思い出していた。
だが真実を知った今は、恐怖に脅えた事も懐かしく思い出す事が出来た。

「でもどうしておばあちゃんが?」

「実はね、半年前になるかしら。菱友の会長から連絡があったの。」

「えっ!」

「その時に全部わかったの。会長がまだ姉を愛しているって。
あの日、瀬津さんが家に来た日。
あの日はちょうど桜が散り始めた頃でね。
その時、私もいたのよ。
あれから姉は桜の季節になると、思い出してこっそり泣いていたわ。
その頃からかしら。桜が嫌いになったのは。

あの日の姉の様子やその後の姉の苦しみを話した時、会長は泣いていたわ。
瀬津さんの言葉がどれだけ姉を傷つけたか、私も話していて泣いてしまったわ。

その時に会長から、葉子ちゃんへ遺産を残したいって言われたの。
私も最初は反対したのよ。」

木綿子の脳裏に、あの日の菱友の言葉がよみがえった。


-お願いします。もう私にはこの方法しかない。絹子が残してくれた孫の葉子に、どうしても受けてもらいたい。-

-でもそんな事をしたら、あなたの奥様は黙ってないんじゃないんですか?-

-わかっています。ですからそのために、しばらく葉子には私の事は黙っていて下さい。全てがうまくいったら、葉子と会いたいと思っています。-


「おばあちゃん。」

「ああ、ごめんなさい。」

「でもそれなら私も会いたかった。」

話を聞いていた柴田が言った。
「ええ、会長も葉子さんに会いたいとおっしゃって、会う手はずを整えている最中に会長が心臓の発作を起こして倒れたのです。
結局一度も起き上がることも出来ずに亡くなられました。
会長は最後に-葉子を頼む-と。それから-絹子・・・-と一言、言われて息を引き取られました。」

「そうだったんですか。」

「あの時ちょうど奥様は病室にいなかったのですが、今から思えば会長の最後の言葉を奥様も聞いておられたのかもしれません。あの時から奥様は壊れてしまったのかもしれないのです。」

「瀬津さんもかわいそうな人だったんですね。」

「ええ。そうですね。会長も奥様も・・・
でも葉子さん、本当に会長はあなたに会いたがっていらっしゃいました。最後まで」

葉子は一度も会う事なく、逝ってしまった祖父の事を思って涙した。



葉子たちが帰ったあと、柴田はソファに座りタバコに火をつけた。

柴田は、身体の底から疲れを感じていた。


あの地獄のインパールから、必死の思いで帰って来た。

そして戦後は一生懸命働いた。
弁護士という仕事に誇りを持ち、正義のために闘ってきたつもりだ。

だがその結果、手元に残ったものは何だろう・・・

息子はその気弱さから犯罪に手を染め、自ら命を落としてしまった。

いったい自分は何をして来たのだろう・・・
事務所の天井を見上げた柴田の目に涙が溢れ、目の前の景色がゆがんで行った。

年老いた男の頬を、涙が伝って落ちていった。


その時、柴田の耳に懐かしい声が聞こえた。

「柴田軍曹、頑張れ。日本に帰るんだ。」

「軍曹、もう少しです。一緒に日本に帰りましょう。帰らなきゃいけないんです。」

インパールの道を日本に向かって歩いた、あの日の二人の声だった。
二人と共にどこまでも続く道を歩き続けた。

苦しかった。
しかし歩き続けた。

ただ一つの思いだけを抱いて。



今、柴田はなぜかあの日に戻りたいと思った。
故郷に帰る思いだけを支えに、必死で生きていたあの日に・・・


柴田は大きな虚しさに包まれていた。


そんな柴田の耳に聞こえて来たのは・・・

「お祖父さん、そろそろ帰りましょう。」

慶介。

そうだ。

慶介が一人前の弁護士になるまで頑張らなくては。

柴田は再び力が満ちてくるのを感じていた。



                        おわり