柴田は葉子の問いに答える事無く話し始めた。
「会長はとても紀本さんの事を案じていらっしゃいました。」
「私の事を?」
「はい。」
「それはどういう意味でしょうか?」
「もちろん宗孝さんの事から派生した事ですが・・・さすがの会長も宗孝さんの事件については,いろいろ考えておられました。」
「柴田さんは事件の時はすでに菱友家の顧問弁護士だったんですか?」
「ええ、ですが事件の事を当時私は知りませんでした。知っていれば、あんな事は決して・・・」
「あんな事とは?」
「もうご存知かとは思いますが、宗孝さんが起こした事故の事です。あの日、宗孝さんは真っ青な顔をして帰って来たそうです。それを見た奥様が宗孝さんから全てを聞きだしたのです。そして宗孝さんを助けるために奔走された。」
「ふっ、それでニセのアリバイをでっちあげて罪から逃れたって事ですか。」
田村が顔をゆがめながら、タバコに火をつけた。
柴田はそんな田村を少し笑いながら見ていたが、話を続けた。
「奥様の強い意志だったようです。」
「会長は婿養子でしたね?」
「ええ、先代の社長に見込まれて。一人娘の奥様と結婚されました。それから苦労されて今の菱友を作り上げたのです。」
「今の菱友は、会長の功績だという事は財界では有名ですね。」
「はい。そのとおりです。それまでは名家だったが落ちぶれていたのを、先代が目端の聞く人で戦後の闇成金から財を成したのです。でもまだその頃は小さな商事会社に毛が生えた程度に過ぎなかったのですが,それを会長が一大総合グループに育てたのです。」
「ところで柴田さんは会長とはいつ頃からのお付き合いですか?ずいぶん以前からお付き合いされていたようですが・・・」
柴田はその時少し遠くを見るような目をしたが、すぐに田村に向かった。
「そうです。会長とは戦争中、ビルマ戦線で生死を共にしました。ビルマ、つまり今のミャンマーです。田村さんはインパールをご存知ですね。」
田村は首を傾げながらうなずいた。
「ええ、インパールと言えば悲惨な戦況で有名でしたからね。」
「インパールはビルマとインドの国境にある町でした。ひどい状況でしたよ、インパールは。
作戦自体がメチャクチャでした。
食糧も弾も最初からほとんど無かった。
軍指令部は『バイキング作戦』などとばかばかしい事を言って食糧の現地調達を命じたんです。
そんなもの、戦いながら食糧まで調達するなんて出来るわけがない。
すぐに食糧は底をつき、私たちは食べるものも無い中で必死でイギリス軍と戦いました。
しかしそれにしたって、肝心の弾がありませんでした。
たとえ弾があったとしても、イギリス軍は最新鋭の武器で攻撃してくるのに日本軍は旧式の銃しかない。
最初から結果のわかっている戦いでしたよ。」
「ひどかったそうですね。私も父から聞いた事があります。」
その言葉に柴田はさも言わんとばかりにうなずいた。
「我々の部隊はそれでもまだ他の部隊よりは良かったのです。早めに撤退できたのですから。
それでもすさまじい光景でした。何人も何十人も点々と道に倒れ、しかしそれをどうする事も出来ませんでした。みんなが必死でした。
止まれば明日、自分が道に倒れ死んでいく事がわかっていたからです。」
「・・・白骨街道ですか。」
「ええ。そうです。」
葉子は田村と柴田の話を聞いていたが、わからない事が次から次へと出て来る二人の話にはひどく戸惑っていた。
「あの室長もその・・・インパール?ですか。ご存知なんですか?」
「ああ、それはね。僕の親父も若い頃戦争に行っていてインパールにいたんだよ。だから僕も子供の頃時々その話は聞かされたんだ。」
「そうだったんですか。」
「うん。戦友と命からがら帰って来たそうだ。」
柴田は田村と葉子のやりとりを少し懐かしそうな顔で聞いていた。
「柴田さん、復員されてからはどうされたんですか?」
「私は郷里に帰りました。その後学校に戻って勉強し弁護士になりました。」
「会長とはどこで再会されたんですか?」
「私が弁護士になるために東京に出て来てからです。
当時やっとの思いで帰って来たものの、東京は焼け野原でした。
すぐにでも学校に戻りたかったんですがそういう事情もあって何年かかかってしまいました。
会長に再びお会いした時は、28歳の時でした。」
「その頃会長は何をされていたんですか?」
「会長は小さな商事会社に勤めていましたよ。つまり菱友ですね。」
「その頃、もう菱友にいらっしゃったんですね。」
「ええ。頭のいい方でしたから。菱友では若い時から仕事が出来ました。
それであの縁談が起こったんですが・・・」
「縁談ですか?ああ、一人娘でしたね。それで養子に入られたんですね。」
「そうです。でも会長は断るつもりだったと。」
「でも受けた。やっぱり断りきれなかったんでしょうか?」
「いや。会長はその縁談を断るつもりだったそうです。
その当時、会長には付き合っていた女性がいたんです。」
つづく
「会長はとても紀本さんの事を案じていらっしゃいました。」
「私の事を?」
「はい。」
「それはどういう意味でしょうか?」
「もちろん宗孝さんの事から派生した事ですが・・・さすがの会長も宗孝さんの事件については,いろいろ考えておられました。」
「柴田さんは事件の時はすでに菱友家の顧問弁護士だったんですか?」
「ええ、ですが事件の事を当時私は知りませんでした。知っていれば、あんな事は決して・・・」
「あんな事とは?」
「もうご存知かとは思いますが、宗孝さんが起こした事故の事です。あの日、宗孝さんは真っ青な顔をして帰って来たそうです。それを見た奥様が宗孝さんから全てを聞きだしたのです。そして宗孝さんを助けるために奔走された。」
「ふっ、それでニセのアリバイをでっちあげて罪から逃れたって事ですか。」
田村が顔をゆがめながら、タバコに火をつけた。
柴田はそんな田村を少し笑いながら見ていたが、話を続けた。
「奥様の強い意志だったようです。」
「会長は婿養子でしたね?」
「ええ、先代の社長に見込まれて。一人娘の奥様と結婚されました。それから苦労されて今の菱友を作り上げたのです。」
「今の菱友は、会長の功績だという事は財界では有名ですね。」
「はい。そのとおりです。それまでは名家だったが落ちぶれていたのを、先代が目端の聞く人で戦後の闇成金から財を成したのです。でもまだその頃は小さな商事会社に毛が生えた程度に過ぎなかったのですが,それを会長が一大総合グループに育てたのです。」
「ところで柴田さんは会長とはいつ頃からのお付き合いですか?ずいぶん以前からお付き合いされていたようですが・・・」
柴田はその時少し遠くを見るような目をしたが、すぐに田村に向かった。
「そうです。会長とは戦争中、ビルマ戦線で生死を共にしました。ビルマ、つまり今のミャンマーです。田村さんはインパールをご存知ですね。」
田村は首を傾げながらうなずいた。
「ええ、インパールと言えば悲惨な戦況で有名でしたからね。」
「インパールはビルマとインドの国境にある町でした。ひどい状況でしたよ、インパールは。
作戦自体がメチャクチャでした。
食糧も弾も最初からほとんど無かった。
軍指令部は『バイキング作戦』などとばかばかしい事を言って食糧の現地調達を命じたんです。
そんなもの、戦いながら食糧まで調達するなんて出来るわけがない。
すぐに食糧は底をつき、私たちは食べるものも無い中で必死でイギリス軍と戦いました。
しかしそれにしたって、肝心の弾がありませんでした。
たとえ弾があったとしても、イギリス軍は最新鋭の武器で攻撃してくるのに日本軍は旧式の銃しかない。
最初から結果のわかっている戦いでしたよ。」
「ひどかったそうですね。私も父から聞いた事があります。」
その言葉に柴田はさも言わんとばかりにうなずいた。
「我々の部隊はそれでもまだ他の部隊よりは良かったのです。早めに撤退できたのですから。
それでもすさまじい光景でした。何人も何十人も点々と道に倒れ、しかしそれをどうする事も出来ませんでした。みんなが必死でした。
止まれば明日、自分が道に倒れ死んでいく事がわかっていたからです。」
「・・・白骨街道ですか。」
「ええ。そうです。」
葉子は田村と柴田の話を聞いていたが、わからない事が次から次へと出て来る二人の話にはひどく戸惑っていた。
「あの室長もその・・・インパール?ですか。ご存知なんですか?」
「ああ、それはね。僕の親父も若い頃戦争に行っていてインパールにいたんだよ。だから僕も子供の頃時々その話は聞かされたんだ。」
「そうだったんですか。」
「うん。戦友と命からがら帰って来たそうだ。」
柴田は田村と葉子のやりとりを少し懐かしそうな顔で聞いていた。
「柴田さん、復員されてからはどうされたんですか?」
「私は郷里に帰りました。その後学校に戻って勉強し弁護士になりました。」
「会長とはどこで再会されたんですか?」
「私が弁護士になるために東京に出て来てからです。
当時やっとの思いで帰って来たものの、東京は焼け野原でした。
すぐにでも学校に戻りたかったんですがそういう事情もあって何年かかかってしまいました。
会長に再びお会いした時は、28歳の時でした。」
「その頃会長は何をされていたんですか?」
「会長は小さな商事会社に勤めていましたよ。つまり菱友ですね。」
「その頃、もう菱友にいらっしゃったんですね。」
「ええ。頭のいい方でしたから。菱友では若い時から仕事が出来ました。
それであの縁談が起こったんですが・・・」
「縁談ですか?ああ、一人娘でしたね。それで養子に入られたんですね。」
「そうです。でも会長は断るつもりだったと。」
「でも受けた。やっぱり断りきれなかったんでしょうか?」
「いや。会長はその縁談を断るつもりだったそうです。
その当時、会長には付き合っていた女性がいたんです。」
つづく