3日後の朝、恵子は自宅近くの高層マンションから飛び降りた。
遺書は見つからなかった。
だが恵子が一人でマンションに入っていく姿を見たという目撃者もいて、自殺と断定された。


恵子の両親はいじめがあった事を学校側に抗議した。
しかし学校は、恵子に対するいじめは無かったと主張した。

恵子の両親は教育委員会にもいじめがあった事を訴えた。
しかし教育委員会の担当者は答えた。

「いじめられていたという証拠や証人はいるんですか?」

「証拠はありません。でも何にもなければ恵子が自殺するはずはないんです。お願いします。調べて下さい。恵子はいじめに耐えられずに自分で命を絶ったんです。このままでは恵子がかわいそう過ぎます。」
恵子の両親は教育委員会の担当者の前で、泣きながら土下座をして頼んだ。
担当者はそんな恵子の両親をうっとうしそうに見ていた。
仕方なく学校に連絡をしたが本当に調べる気があったかどうか怪しいものだった。

恵子の同級生たちは冴子達からの報復を怖れ誰もいじめがあった事を認めなかった。
学校側の調査は上辺だけだったし、いじめがあったと言い出す生徒がいても学校側のほうでその証言は握りつぶされた。

恵子の両親は担当者から結果を聞いた。
しかしその内容はいじめは無かったというものだった。
恵子の両親は再度調査を頼んだが教育委員会は取り合う事はなかった。

やがて恵子の存在はみんなの中から薄れていった。
恵子の両親は何度も警察や学校に訴えたが無駄に終わった。
それどころか次第に変人扱いされるようになってしまった。
恵子の両親は警察や学校、教育委員会、そしてこの町に失望し、町を出て行った。



あれからもう20年以上経った。
しかし冴子の心から恵子の事が消えた事は無かった。
子供の頃は格別ひどい事をしたという意識は無く、遊びの延長程にしか考えていなかったし、他の3人もそうだったろう。
しかし段々成長するにつれ自分たちが恵子にした事の残酷さがわかってきた。
幼い自分たちが犯した事の重大さに気付いた時には、既に恵子が去ってから随分時間が過ぎていた。

ただ何も無ければ過去の事として、心の傷となっていたはずだった。
しかし今冴子の息子の雅人に同じような事が起きている。
いやもっとひどい事が起きそうな気がしていた。
初めて冴子はあの時の恵子や恵子の両親の苦しみを知った。



                   つづく