主峰赤岳を中、心に南北25キロにわたって、二千メーター以上の山が続く火山列。本州を南北に走る。“フォッサマグナ”の中央部に位し、この為地質学的にも非常に多岐にわたっている。 動植物もアルプス一の宝庫といわれるほど種類は多く、ヤツガタケアザミ、ヤツガタケシノブ、ヤツガタケトウヒ等八ヶ岳で最初に発見され、名づけられた植物が多い。キバナシャクナゲは天然記念物になっているし、ヤマシロチョウなど高山チョウは限りない。 古来より信仰の対象にされたことから、例えば修行者の泊まったという行者小屋とか、権現岳、阿弥陀岳、横岳岩頭の大同心、小同心、摩利支天、石尊、奥の院といった宗教的な名も多い。 尖石(とがりいし)遺跡や郵便ハガキに載った(渦巻文大把手付土器)有名な井戸尻遺跡はこの広大な八ヶ岳山麓に数ある遺跡の中でも必見する価値あるもので縄文から弥生式土器等そのままの姿で見ることが出来る。

「赤岳を望んで」
赤岳は主だ。中岳、阿弥陀岳を横にひかえさせて、重く、しかも高く、最後の急登は
たまらない。赤岳:2,899M

「野辺山高原にて」
標高1,500Mのこの高原に立つと、八ヶ岳が、一方には、南アルプス富士、奥秩父、
浅間の山々とが美しい旋律を奏でるように迎えてくれる。牛たちのたわむれと共に、
早春の小梨の花の甘い香が一段となんともいえない音楽的風景がここにあります。

「蓼科湖について」
島木赤彦は“草枯丘いくつと越えて来つれども蓼科山はなお丘の上にあり”と詠ん
でいる。この山は北八ヶ岳の最北端に位し、コニーデ式火山にて、湖は農業貯水池
として出来た湖である。特に北側には堰が何ヶ所かある。

「白樺湖にて」
奥に200万坪に及ぶ蓼科牧場をひかえて、その牧歌的情景が一層若人をひきつける。
が、昔日の炭焼小屋の光景はとっくに無い。夏の澄んだ空気と山も格別だが、秋の
高原こそ一層ロマンチックだ。

「清泉寮にて」
昭和23年創始者ポールラッシュ博士によって、農村センターが建設され、1,400Mの
寒冷地にKEEPの目的、「食糧」「保健」「信仰」及び「青年」の4つの課題を実践の中から
訴求している。

「渡辺伯爵邸」
蓼科湖の真上に聳えるこの建物は(港区高輪より移築)、明治38年(1905年)に日本人
最初の設計による洋風建築である。岡谷の生んだ名門渡辺家は、諏訪高島藩士斧蔵を
祖先にして、千秋が興して維新の際、国事に尽くす。後、宮内大臣に任ず。千春・
千冬の秀才を生み、代々秀才を世に出している。また千秋・国武兄弟は、小林一茶を
世に出したと云う隠れたエピソードがある。

「七島八島にて」
この八島湿原は標高1,665Mの高層湿原(ミズゴケの石炭)で、ミズゴケだけでも17種
ある。この湿原の西側に旧御射山神社の古代祭祀遺跡があり、東側には鷲ヶ峰がそびえ、
古代人は神体山として信仰の山であった。また近くに石器時代矢じり等の生活上重要な
役割をはたした黒曜石の産地もあり、中仙道の難所和田峠も近い。

「霧が峰から八ヶ岳を望む」
広大な霧が峰溶岩台地は、全山樹木がない草原で地質学的、岩石学的にも、また標高が
低いにも拘わらず、亜高山植物や湿地植物の宝庫である。