千絵は会社に戻り、上司に得意先との打ち合わせの内容について報告を済ませ、ようやく帰宅した。

自宅に帰った千絵は、早速買って来た黒い箱を開けた。

中には白い大きな粒が1つと、赤い小さな錠剤が10粒入っていた。
その他には何も入っていない。
そして箱の蓋の裏に注意書きがあった。

「まず、最初に白い粒をお飲み下さい。次に赤い粒を1粒お飲み下さい。
尚、赤い粒は必ず1日に1粒以上摂取しないで下さい。過剰な摂取は身体に影響が出る場合があります。
警告を守らなかった場合、当局は一切関知いたしません。」と太字で書いてある。

「なんか高圧的だなあ。まあいいか。本当にこれ1粒でいいなら痩せられるかもしれないな。」

千絵は白い粒と赤い粒を口に放り込み、ミネラルウォーターで流し込んだ。



翌朝・・・
千絵は目覚めた。
ベッドの中で身体を伸ばしながら千絵は気づいた。
なんだかいつもと何かが違うのだ。
どこが違うのか・・・最初はわからなかった。

だがいつもなら起きるのに3つも目覚まし時計をかけてようやく目覚めるのだが、今朝はまだ目覚ましも鳴っていない。
起床時間よりまだ1時間も前だというのに、起きてしまったのだ。

しかもとてもさわやかな目覚めなのだ。
最近はいつも疲れが取れにくく、目覚めても重い身体を引き剥がすようにベッドからよろよろと起き上がるのが常だった。

しかし、今日は疲れも無く、足取りも軽かった。
それどころか、体中に力が満ちていた。

鼻歌を歌いながら洗面所に行った。
歯を磨きながらいつもの習慣で部屋のカーテンを開け、窓の外を見た。

すると今までかすんでいた少し離れた所に建っている大きなマンションの部屋が見える。
それも部屋の中までよく見える。
部屋に置いてある時計の時間が読めるのだ。
あまりの驚きにじっと見ていた千絵は少しめまいを感じた。


「う~。クラクラする」
千絵は目頭を軽く押して頭を振った。
そして改めて部屋を見回してみると、確かに今まで見えなかった細かい物がはっきり見える。

それに・・・
音だ。隣の部屋の声が聞こえる。

隣の部屋には若いカップルが同棲している。
その二人の会話がすぐ横で話しているように聞こえるのだ。


千絵は当惑したがあまり気にもせず、朝食を摂ろうとして思い出した。

「あっ、そうだ。食べなくていいんだ」
そういえば確かにお腹は空いていない。

「“あれ”、効きそう。うふ。」
途端に機嫌が良くなり、着替える事にした。


いつもなら駅まで走るのだが、今朝は早く起きたおかげでゆっくりと駅まで歩いた。
しかも、身体がとても軽く感じられる。
いい気分で千絵は会社へと向かった。

会社に着いた千絵は自分の席に着いた。


「あ、片岡さん。おはようございます。」

「おはよう。」

「片岡さん、今日は元気ですね。なにかいい事でもあったんですか?」
後輩の島田純子だ。


その時、千絵の頭の中に純子の声が響いた。

-良かった。今日は機嫌よさそう・・・昨日ミスした事言っても大丈夫そう。お昼にでも言おうかな-


「えっ?何か言った?」

「えっ!い、いいえ、何も言ってないです。」

「そう・・・」

しかし確かに千絵には聞こえた。
そして千絵は見ていた。
純子の声が聞こえた時、純子の口は開いていなかった・・・


一瞬千絵は動揺したが、仕事に取り掛かる事にした。

パソコンを立ち上げていると次々と部屋の中にいるみんなの声が頭の中に響いてくる。

だがそれがとても変なのだ・・・
純子と同じようにみんなの口は開いていないのにいろんな声が聞こえてくるのだ。


-ああ~今日は二日酔いだ。仕事なんかしたくない-

-明日のデート何着て行こうかな・・・-

こんな声ばかりなのだ。
中にはニコニコしながら心の中では上司に向かってバ~カなどと言っている。

それが全て千絵には聞こえるのだ。
しかも千絵の周りにいる誰もその声が聞こえないかのように仕事をしている。


千絵はそばにいる同僚に聞いてみようと思った。

その時千絵の隣の席の男性社員が席に着いた。

「片岡さん、おはようございます。」
にっこり笑いながら千絵に話しかけた。

「おはよう。」
千絵が返事をした時、聞こえてきた。

-あ~あ。今日は早く帰りたいなあ~。久々のデートなんだよな。この間は課長に急に残業させられちゃって彼女カンカンだったもんな~。-

千絵は思わず言ってしまった。
「へえ~。今日はデートなんだ~。いいなあ。」

「えっ!どうして知ってるんですか?」
男性社員は不思議そうな顔で千絵を見ている。

その様子を見てやはり他人には言えないと思った。
もし言っても千絵の方が変だと思うにちがいないからだ。

「カンが当たったの。私カンがいいのよ。」
そう言って、千絵は気を取り直し仕事に集中しようと思った。



千絵が黒い箱を買ってから1週間経ち、またあの得意先へ向かう日が来た。

千絵はこの日を待っていた。
千絵には日に日に周りの声がはっきり聞こえるようになっていた。
あまりにも多くの声が聞こえ、千絵はおかしくなりそうだった。

千絵は耳をふさぎたかったが、しかし耳をふさいでも何にもならない。
もう千絵にはわかっていた。
声は耳に聞こえてくるのではなく、頭の中に直接聞こえて来る事が・・・。

そして他にもいろいろな事が起きていた。

視界はますます広がり、遠くの物がはっきり見えるのはもちろん背後に有る物さえ見えるようになっていた。
視界は360度になっていたのだ。

体力が増強されている事も、千絵は恐ろしく感じていた。

会社の工場へ行った時、やはり多くの声にめまいを起こしてしまい近くに置いてあったスチールラックにとっさにつかまった。

その時にスチールの太い管がグニャッと曲がってしまったのだ。
幸い倉庫の中だった為近くに誰もいなかった。
千絵はあわてて倉庫から出てきたが、千絵の手はブルブルと震えていた。

千絵は早々に仕事を済ませ、あの箱を買ったコンビニへ急いだ。


                つづく