■恩寵か自助努力か?
皆さん、こんにちは。
さて、今日もFacebookに投稿させていただいた「聖者の格言シリーズ」から、本質的な視点についての記事を掲載したいと思います。
【ヴィシュヌ・ワークスFacebookページ ~ 聖者の格言シリーズより】
霊的な旅は、25%は弟子本人の努力であり、25%は霊的教師(グル)の努力、そして50%が神の恩寵なのです。
しかし、決して忘れてはならないことがあります。
それは、あなたの役割である25%には、あなたの100%の努力と誠実さが込められていなければならない、ということです。
人生とは、無限意識(根源意識)に入っていくためにどうしても卒業しなければならない学校のようなものです。
もしあなたが、無断で授業を抜けだした(=自殺した)としても、「究極の授業」の卒業に必要な履修単位の回数分を受け直すためには、なんどでも戻ってこなければならないのです。
恐る恐るカルマを解消している限り、完全に自由になることはできません。
やってくる試練に喜んで応じ、その試練が課すどんな困難にも勇気をもって向き合うだけの意志が必要です。
カルマの克服のために重要となる1つが、瞑想です。
深い瞑想をするたびに、カルマは減少します。なぜなら、そのときには脳にエネルギーが集中され、古い脳細胞を燃焼させることができるからです。
ですから、深い瞑想をするごとに、人は内側でより自由になっていくのです。
さらに、カルマは霊的教師(グル)の助け、つまり恩寵によって大いに軽減させることが可能です。
グルにはあなたのカルマが見えます。そして、そこから抜け出すために何をすべきかも知っています。
グルとは、弟子が背負っている重荷の一部を引き取ってくれ、同時に弟子が力強く成長できるように励まし、導いてくれる存在なのです。
それゆえ、古来より、悟りへの最高の道は「グルヨーガ」だと言われてきたのです。
一方で、「あなた自身の渾身の努力」も必要です。
もしあなたがお金持ちになりたいと思っているのなら、部屋にこもって神が与えてくれるのをただじっと待っていますか?
しかし、そんなことでお金はやって来ることはありえません。
稼ぐためには一生懸命(=効果的に)働かなければなりません。
努力もしないで、ただ神を信じるだけで、なぜ救済がやってくることを期待するのでしょう?
救済とは、エゴの制約から解放されることです。
もちろん、あなたのことを他者が助けうるというのは本当です。神の恩寵のみがあなたを救うことができるというのも本当です。
しかし、それにも関わらず、あなた自身の真剣な努力も、そこにはどうしても必要なのです。あなたの大いなる努力なしに、決して救済が手に入るなどということはありません。
古来より、「人間の努力か?」「神の恩寵か?」という絶え間ない議論が続いてきました。
しかし、答えは極めてシンプルです。
人間はもちろん、ベストを尽くさなければなりません。
しかし、努力の過程で、働いているのは「人間としてのその人」ではなく、「励まし導きながらその人を通じて働く(内なる)神」であるのです。
その努力と理解の程度に応じて、成功という栄冠が与えられるのです。
「大いなる行為者は神である」
それが、エゴを超越するスタンスです。
神(=本当の自分自身)に対して積極的になる姿勢であり、そのためには強い意志と多大な努力が必要です。
恩寵か自助努力か。
結局は、両者は「相互補完の関係」にあるのです。
誠実さをもって多大な努力をした者にこそ、大いなる神の恩寵が与えられるのです。