

昨年夾竹桃のことを知って書いた詩です。
どうぞ読んでください。
ねぇ 夾竹桃さん
ねぇ 夾竹桃さん
うちねぇ 今まで知らんかったんよ ごめんね
あんた 広島市の花じゃったんじゃねぇ
広島で生まれて広島で育ったうちが
そんな大事なことを きちんと知っとらんで
ほんとごめんね
でも 夾竹桃さん
あんたの生命力ってすごいんじゃねぇ
広島だけじゃのうて 長崎でも
原爆が落ちてから 真っ先に咲いたのが
あんたじゃって聞いたよ
原爆が落ちた後は
七十五年は草木が生えんと言われとったのにねぇ
その絶望的な予想を
よう ああもあっさりと ひっくり返したもんじゃねぇ
正直 神様もびっくりしたじゃろうね
ねぇ 夾竹桃さん
何で 自分の命もかえりみず
あのとき 広島に根付こうと思ったん?
ほいじゃって 怖くないわけないじゃろう
あのとき 土の中には
放射能やら 訳わからんもんが
いっぱいあったんじゃけん
もしかしたら 芽も出せんと
土の中だけで 命が終わっとったかもしれんのに
何で そうまでして
生まれてこようと思ったん?
ねぇ 夾竹桃さん
無理なこと お願いしとると思うんじゃけど
あのときのこと 思い出してみてくれんかねぇ
うちゃあねぇ
原爆が落ちた後 広島の人らは
何(なん)もない どこまでも広がる焼け野原を
ただただ 茫然と
見つめることしかできんかったと思うんよ
広島の地に 無限に広がった
不安 恐怖 悲しみ 苦しみ
ほいじゃのに どうして広島の人らは
心が破裂しそうなほど 膨らんだ心の「マイナス」を
「プラス」に変えることができたんじゃろう?
絶望を希望に変えるって
口で言うほど 簡単じゃないわいねぇ
ほいで あの時の広島は
明日(あした)がどうなるんか 誰もわからんかったじゃない
じゃけぇ 未来なんて全然見えんかったはずなのに
どうして 立ち直ることができたんじゃろう?
ねぇ 教えてーや 夾竹桃さん
ほいじゃって あの時 あんた
たくさんの広島の人の顔を見たじゃろう?
ええ? 考えてもみんさいや
原爆が落ちて わずか一年後に
あんたが咲いた時
絶対に みんなが あんたを見んかったわけないじゃろう
みんな 絶対食い入るように
あんたを じっと見つめたはずじゃもん
ほじゃから あんたは
たくさんの広島の人の顔を見とるんよ
ほうら やっぱり…… ほうじゃろう
ほいでねぇ 夾竹桃さん
うち 思うんじゃけど
絶望をいきなり希望に変えられる人って
そうはおらんよねぇ
ほじゃけど 人は
何かに突き動かされるように
このまま しゃがんどったらいけん と
必死で 立ち上がろうとするよねぇ
ねぇ 夾竹桃さん
何で 人って立ち直れるんじゃろう?
そん時 人に どんな力が働くんじゃろうねぇ?
うちはねぇ
そん時 人間のずっとずっと奥のほうにある
生命(いのち)の力が働くんじゃないかと思うんよ
生命(いのち)の力
それは 人間が神様から等しく授かった力
そう考えると 人間一人一人は
神様から与えられた すごい力を持っとることになるよねぇ
じゃけん 人は
どんなに 先が見えんでも
どんなに 希望が持てんでも
立ち上がって 前に進むことができるんじゃろうねぇ
それが どんなにつらくても
どんなにしんどくてもね
そうやって 毎日少しずつ
ひたすら前に進んで行きよって しばらくしてから
ようやく 人は奇跡に出会うんじゃと思う
奇跡に出会って初めて 人は
先が見えん道をひたすら歩いてきてよかったのうと
喜んで 感動するんじゃろうね
う~ん やっぱり 人ってすごいよねぇ
ほいじゃって
不安 恐怖 悲しみをいっぱい抱えながらでも
人は 前に進めるんじゃろう?
泣きながらでも 震えながらでも
人は 前に進めるんじゃろう?
それってやっぱりすごいよねぇ
夾竹桃さん
たぶん 人の心は 知っとるんじゃと思う
たぶん 人の心は 確信があるんじゃと思う
道を歩き続けたら
必ず 素晴らしい奇跡に出会えることを
道を歩き続けたら
悲しみの何倍もの喜びを味わえることを
広島の人らが出会った素晴らしい奇跡
その一つはまちがいなく
夾竹桃さん あんたじゃねぇ
あんたを見たときの 広島の人らの
驚き 喜び 感動
それはそれは すごかったじゃろうね
でもねぇ 夾竹桃さん
そのとき 広島の人らも
抱えきれんほどの苦しみと悲しみに
押しつぶされそうになりながら
必死に 前に進んでいきよったんじゃと思うんよ
じゃけん うちはこう思うんよ
人は
心のマイナスを追い出せんでも
絶望の中におっても
立ち上がって 前に進むことができる
途中で立ち止まっても また 前に進むことができる
でも そうやって 道を進んでいくと
いつの間にか
プラスが マイナスを優しく包み始める
希望が 絶望のまわりをフワッと囲み始める
そうやって 人は立ち直っていく
そうやって 人は強くなっていく
やがて マイナスは
プラスの力に押し上げられて 天に帰っていく
絶望は希望に囲まれたまま
フワフワと気持ち良さそうに 空に戻っていく
広島の人らの
膨らみ始めた希望を 一気に花開かせるように
夾竹桃さん
あんたも きれいな花を咲かせたんじゃねぇ
あぁ そうか 夾竹桃さん
あんたは 広島の人らに
自らの姿を通して 大切なことを教えようとしてくれたんじゃね
「どんなに過酷な環境であっても
人は そこに
根を張る力を 持っている
芽を出す力を 持っている
花を咲かせる力を 持っている」
夾竹桃さん
あんたは生命力そのものじゃねぇ
生命(いのち)の力 生命(いのち)の強さを表したくて
あんたは この世に生れてきたんじゃね
でもねぇ 夾竹桃さん
生命(いのち)の強さは
本当は みんな同じなんじゃろう?
じゃけど その強さが出るかどうかは
自分の生命(いのち)の強さを信じられるかどうか
自分自身を信じられるかどうか
たったそれだけの違いなんじゃよね
でも たったそれだけの違いが
人生にとっては 大きな違いになるんじゃってことを
しっかりと 自覚したほうがいいよねぇ
ほいじゃって
誰だって 心明るく 幸せな毎日を送りたいじゃん
生命(いのち)の力
生命(いのち)の強さを あの時の広島の人らが
しっかりと 今のうちらに教えてくれたんじゃねぇ
あぁ
夾竹桃さん やっとわかったわ
平和公園があれほどの悲劇が起こった場所なのに
うちはね そこに行くと
とっても温かいものに
ふんわりと包み込まれる 不思議な感じがしとったんよ
うちは
すさまじいほどの絶望を押し上げた
広島の人らの
希望の温かさを感じたんじゃね
生命(いのち)の力を存分に出し切った
広島の人らの
生命(いのち)の力強さを感じたんじゃね
ねぇ 夾竹桃さん
あんたは 平和の象徴の花じゃけど
うちはね
希望を象徴する花じゃと思うんよ
ねぇ 夾竹桃さん
自分でも そう思うじゃろう?
ねぇ 夾竹桃さん?
ねぇったら……
夾竹桃さんは結局 一言も 言葉を返してはくれんかった
それでもうちは しばらく 夾竹桃さんを眺めていた
夕陽が沈んだ
「うち もう 家に帰るわ
さよなら 夾竹桃さん」
そのとき 誰かが うちに 話しかけてきた
うちのこと そんなふうに思ってくれてありがとう
でもね うちはそんなに
大それたことを思って生まれてきとらんのんよ
うちはね……
うちはね ただ
ただ 広島の人らを守りたかっただけなんよ
ただ それだけなんよ
広島の人らを一気に飲み込もうとする
悲しみから
広島の人らを一気に突き落とそうとする
苦しみから
ただただ 守りたかっただけなんよ
ただ それだけのことなんよ
うちはそのとき
大きな大きな愛に ふんわりと包み込まれた
それは とってもとっても 温かかった