まいこでーす🐱
ここ1週間くらい毎日顔を見せてくれていたネコチャン達が、今日は雨降りなのでお休みでした。
どこかで雨宿りしてくれているといい☂️
今日は、全てのイベントや出来事はやっぱり祝福だな〜と思ったので、それについて書きます。
少し読みやすくしようかとも思ったけど、全然思うように書けなかったので自分メモのまま書きますね。
全てのイベントや出来事は、それが快でも不快でも最善。
道を補正してくれたり、修正してくれたりの、気づきのために起きている(それが意識的でもそうでなくても)。
そういう意味では、全ての出来事が祝福でギフト。
古い習慣やパターンを手放し、今の自分にピッタリな新しいやり方を定着化・固着化・習慣化するために何度も起きてくる出来事もある。
(なぜならある程度くり返し同じことを練習しないと、習慣化はしないものだから)
あるいは、本当に新しいやり方を反射的に選べているかのチェックでもある。
起きた出来事に対して自分のやり方で裁いたり、相手を教育してやろう、分からせてやろうみたいになるのではなく、自分の何が刺激されたのかを観察することが大事。
反応した部分に対し、ではどういう状態なら自分は嬉しかったのか→そのやり方を当たり前とする世界を、新たに自分の中に基準として設定する。
みたいなことをすると、大変便利である。
不快な出来事は、自分の輪郭をはっきりさせてくれる。
自分にとってのNOの基準を、不快な出来事は教えてくれる。
普段から穏やかな生活を送っていると、自分の中のNOの基準に気付きにくい。
自分の中のNOの基準は、何かイベントや出来事はないと気付きにくい(特に日常生活レベルの細かいNOの基準はなかなか積極的に見つけにくく、そこが侵されることで気付きやすい)。
新しく見つけた自分の中のNOを反転させて、だったらどういう世界を望むのか、まで設定するのがセット。
(というか、ここまでやると不快イベントもボーナスイベント並に昇華できるのでは)
以上が、今日の気づきです。
まだこれ、私自身も具体的にこうやってメモに落とし込めたのは今の話なので、あまりサンプル数をこなせていません。
とりあえず起きた不快イベントをこのやり方で使わせてもらったんですが、もう少し検証すると精度も上がりそうですね。
これはなんというか…ライフハックなのか、なんなのか笑。
私もよく分かりませんが、もう少しこのやり方やってみようと思います。
そんな感じのシェアでした〜ニャーン🐈