まいこです!
名称というか、表現が正確かどうかは分からないんですけど、思いついちゃったので書きます。
こう、低次元・波動が低い・振幅数が緩いものと、高次元・高波動・精密で高速な波というのは交わらないものだと思うんです。
あまりに所属が違うから一緒に同時に存在できないというか、互いが遠すぎて見えないというか。
それで、三次元における私たちの肉体って、この両方を同時に存在させることができる・抱き込むことができる装置でもあるんじゃないかな?って思いました。
それぞれを破綻なく顕在させられるパイプのようなものでもあるだろうし、容れ物とか。
極端に性質の違うものが同時に存在できるなんて、ある意味、夢のような装置なのではないかな???
なんだか、その素晴らしさを再発見というか、思い出すといいのかもしれませんね。
二元性の性質を共に自分の中に内包しているというのは、分裂から統合への道筋のようでもあるし、それでいながらそれぞれの極を自由自在に楽しめるという、超ゴージャスな装置のような気がしました。
そういえば前回、あんまり自分の思考の世界だけできちんとしようとか考えずに、流れに委ねてどんどん散らかしていくぜ!みたいな内容の記事を書きました。
三次元的な二元性を自分の中で統合し始めると、その在り方は三次元より高次的と言われますけど、だとしたら、今度は三次元的なものとそこより高次的なものと、両方含めての散らかしが始まるのかな?という予感もあります。
例えば精神性がめちゃくちゃ高くてお金にがめついとか…????
上手い例えがあまり見つかりませんが、要するにジャッジや思い込みやタグ付けみたいなものから解放されるが故に、何のもつれや澱みがない爽やかな素直さで、どぎつい極端さを同時にもちえる人が増えるんじゃないかなぁ。
(一般的な思い込みでは精神性がめちゃくちゃ高い=清貧・清いというイメージになりがちなので。
あ、でも欲との向き合い方とかもどうなるんだろう。基本は「ある」だし愛ベースだしで、やっぱり例えが難しいな)
多次元的に散らかす…今のわたしの価値観ではいまいちピンときませんが、どうなるやら楽しみにしときましょ。
今日はそんな漠然としたことを考えていました。🐱🐱🐱