父は、私の26歳と6ヶ月の日に56歳で亡くなった。

けっこうヘビースモーカーで、長年ハイライトを吸っていた。
その上好き嫌いが多く、小食だった。
体重は20代からほとんど変わらず、かなりの痩せ型だった。


でも、性格は男らしくて無口で、
家電の修理や配線も得意で、包丁研ぎも上手だった。
経済や法律の内容で分からないニュース記事があると、
私はよく父に質問した。
父に聞けば何でも分かるような気がしていた。


私が音大に行ってからは、新しい曲を始めるときには、
作曲者と曲名のメモを父に渡して、
勤め先から買ってきてもらった。


たぶん私は、父が理想の男性像としてあったと思う。
母が父のことをすごく想っていることを感じていたし、
父は古いタイプの男性ではなかったけど、
私たち家族の大きな柱だった。


そんな父が亡くなってから、丸4年経つ。


2004年の大晦日、紅白を見ているときに、
「あぁ、いま隣にいる父が
来年は居なくなってるかもしれないんだ」
と思いながら絶望を実感していた。


夫と会わせるのを焦っていた私に、
「そんな急いで会わなくてもいい。
これから長い付き合いになるんだから」と言った。
どんな思いでそう言ったんだろう。


大事にしていた車を管理できなくなってしまって、
病室から見える位置に私が一旦停車させて見せたら、
体を起こすのもしんどくなっていたのに
起きあがってしっかり車を見ていた。


私の夫に車を譲ろうと考えていたのか、
「おまえの彼氏は車を持ってるのか」と2回も聞いてきた。


夫と初めて会ったのは病室だったが、
まるで病気を感じさせない気丈さで
夫とすがすがしく対面し、最後まで[私の父]でいてくれた。
入籍を報告したときは、もう起き上がれなくなっていたが、
夫と握手をして、なかなか手を離さなかったそうだ。


ここ数日が峠だと言われて、私と母が病室に泊まりこんだとき、
私が用事を済ませて病室に再び入っていったら、
意識が混濁していたのに、「お帰り!」とはっきりと言ってくれた。


それが父の私に対する最後のことばだった。


お帰りというなら、私もいっしょに連れて行ってほしかった。


3人家族で人数が少ない分、ひとりの占める割合が多くて、
父がいなくなることは、とてつもない喪失感だった。


もうこの先の自分の人生に希望を持てないと思った。
今でも、物理的に恵まれたことがあると尚更、
父がいなければ何の意味もないと思ってしまう。


神様は私から父を奪って、私に多くのことを教えようとしたのだろうか。
父がいたら私に今なかった幸せは、私が選んで手にしたものではない。


何年経っても思う。
もうこんな人生は経験したくない。