ギリシャ旅行記(8)アテネ・アクロポリス | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

今日は旅の最終日にして、クライマックス。ということで、アクロポリス入場を持ってきました。

 

ホテルのルーフトップ・レストランで朝食。7:00からで、時間ちょうどに向かうと、あっという間に満席になりました。食事内容は普通にパンとかシリアル、卵、チーズ、ソーセージ、ハム、フルーツ、ヨーグルトにジュースという感じです。

 

 

しかしここは絶景。アクロポリス・ビューなのです。

 

優雅にアクロポリスを眺めながら朝食…といきたいところですが、7:30にはホテルを出たいので、ゆっくりしている場合ではありません。パパッと済ませて、早々に出発です。

 

7:40にはアクロポリスの東側のエントランスに着きましたが、すでに30人ぐらい並んでいます。オープン時間の8:00になると200人ぐらい並んでいたので、早めに来て正解でした。

 

 

アクロは「高所」ポリスは「都市」で「高いところにある都市」という意味のアクロポリス。ギリシャには複数のアクロポリスが古代ギリシャの都市部に築かれていましたが、単に「アクロポリス」と呼ぶときは、このアテナイのアクロポリスを指します。2007年に世界遺産に登録されました。

 

 

アクロポリスの歴史は、とても複雑です。

 

紀元前6000年には、この地にすでに居住された痕跡が残っているそうですが、少なくともその後のミケーネ時代(紀元前1600〜1200)にはメガロンという神殿の原型のようなものが建てられていたことがわかっています。

 

その後アテナに捧げられた神殿が紀元前6世紀頃に建てられ、初期のパルテノン神殿が紀元前4世紀に着工されました。しかしペルシャ人の襲撃によって焼失して、すべてのものが略奪されてしまいます。ペルシャ人危機が去ったのちの紀元前460〜430年のアテナイ黄金時代に、ほとんどの神殿が再建されました。

 

 

パルテノン神殿、アテナ・ニケ神殿、エレクテイオン神殿、高さ10メートルに及ぶ巨大なアテナ像などなど、です。

 

しかしその後ローマに支配されて、東ローマ帝国となると、古代ギリシャの神々は古い偶像となり、彫像や壁画のレリーフなどはことごとく破壊されます。そうして、いにしえの神々は姿を消して、パルテノン神殿は、聖母マリアの教会となったのでした。

 

さらに時を経て、この地を支配するものがオスマン帝国となると、今度はパルテノン神殿はモスクとなります。

 

そして17世紀にベネツィア軍に包囲されると、火薬の貯蔵庫となっていたパルテノン神殿は砲撃によって、激しく破壊されたのでした。

 

 

20世紀後半(1970年代)になってから、アクロポリスの修復事業が始まり、現在も継続中。ちなみに現在は「白亜の神殿」ですが、古代ギリシャ時代は↓のような色がついていたといわれております。

 

 

残っている彫像なども元々は着色されており、それらが風化によって落ちたと推測されています。しかし、19世紀のイギリスやドイツの考古学者たちが「白い大理石こそが古典には似つかわしく、美しい」と、神殿を漂白してしまい、すっかり、そのイメージが美術や建築の現場で現代人の私たちに刷り込まれてしまったようです。

 

 

確かに、こんなイメージを見ていたら「最初から白かった」と思ってしまいますよね。

 

ギリシャの独立は1830年。西洋文明の発祥は古代ギリシャにあり、ですが、ローマ、オスマンに支配されて、1900年ものあいだ、失われていた国。

 

世界最初の民主主義国家であり、自由が市民の理想でありながらも、オスマン帝国の支配下時代は、あらゆるものが制限されたようです。

 

そのため独立戦争の時に使われたスローガンが、そのまま国の標語となり、その音節が9本の線として国旗に描かれているとのこと。

 

 

それにしても、圧倒的で壮大な神殿群です。

 

朝イチに入って、本当に正解でした。8時台は人が少なく、写真も撮りやすく、好きな場所で眺め放題。日差しが強いものの、風は爽やかで涼しく、快適でした。

 

 

しかし9時過ぎ、さらに10時過ぎにはツアー客がどしどしやってきて「いま、この丘の上に3,000人以上いるよね」というぐらい大混雑。

 

私たちが降りる頃には、プロピュライア(神殿群の入り口)は大行列で、さらにアクロポリスへの入場口も大行列になっておりました。

 

 

東側の入場口近くにあるデュオニソス劇場。最大で15,000人を収容。古代ギリシャ時代には4年に1度、ここで演劇祭が行われていたとのこと。各劇団にはスポンサーが付いていて、優勝すると鼎にスポンサーの名前が刻まれて飾られるという名誉があったそうです。

 

 

休憩と充電しにホテルへ戻り、近所のマクドナルドでコーヒーとカプチーノ€3.7(約600円)。小腹が空いたのでチーズパイ€3.2(約530円)を食べてから、今度はアクロポリス美術館へ向かいます。

 

アクロポリスにあった彫像群や壁画はここに詰まっております。本当はもっともっとたくさんの素晴らしい彫像や壁画があっただろうに、破壊され、盗まれてしまったため、レプリカも含まれています。

 

 

見どころ満載で、公式サイトからオーディオ・ガイド(英語)が無料で聴けます。

 

エレクテイオン神殿を飾る、カリアティード(少女の柱)の6本のうち、5本はここにあります。残り1本は大英博物館だそうですね。ギリシャに戻してあげてー。

 

 

この少女たち、古代アテナイのパンアテナイア祭りの美人コンテストの優勝者たちだそうです。花籠を頭に置いて、春の踊りを踊る少女の姿を柱にするとは、本当に素晴らしい。

 

 

サンダルの履き心地を調整するニケ像……神様でも「あれ、なんか足元の勝手悪い」となるのか、どうかは知りませんが、なんか、良いです。

 

 

たくさんのコレー(乙女)たち……。「パルテノン」は古代ギリシャ語で「処女」を表し、これはもちろん、処女神アテナのこと。コレーたちの像はアテナへの供物ですが、処女神に与えられるのだから、清らかな乙女である必要があるのですね。

 

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カリアティードもそうですが、本当にこの乙女たちが美人揃いで、髪はブレードに結い上げられていて、アルカイック・スマイルで美しいのです。

 

ギリシャ神話における処女三神として有名なのはアテナ・アルテミス・ヘスティアですね。この三神は占星術の世界にもそれぞれパラス・月・ヴェスタとして登場します。

 

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処女神であることは「男性に属さない」独立した存在であることの象徴です。社会的にも中立で、男性の欲望に負けない理性も備えている証明となります。

 

月は成熟する前の少女ですが、小惑星のパラスとヴェスタを読むときは、その「中立性」や「独立性」を見てみると、面白いと思います。実際にパラスやヴェスタがASCやMCに位置していたり、太陽や月と合になっていたりする女性には、その特徴が表れているなと感じます。

 

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美術館の地下は遺跡になっていて、その保存も兼ねています。地下にも小さな彫像がいっぱい。

 

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最終日にてハイライト。アクロポリスと美術館だけで、夕方になりました。ものすごく満喫でした。

 

早めの夕飯を食べに、小さなタベルナへ。働き者でめっちゃ感じの良いおじちゃんが切り盛りしています。

 

トマトサラダとザジキとラムのギロピタ。これにお水を頼んで€23.5(約3,900円)でした。ラム肉がめちゃ美味。

 

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ぶらぶらとプラカ地区のお土産屋さんを冷やかしながらホテルへ帰ります。明日は北京経由で帰国です。

 

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仕事しないで、毎日その日に遊ぶことだけを考えて過ごすのは、楽しい日々でした。

 

ギリシャ、また来たいです。今回はアテネの一番の観光地から、田舎の絶景、世界遺産の山の神殿、そして地方の街と多彩な姿を見ることができて、とても楽しかったです。

 

明日からブログは通常運転(星の話)に戻ります。旅の記録に、お付き合いくださって、ありがとうございました。

 

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