魚座の金星と、自然に回帰する愛 | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

3月12日6:52に金星が魚座に入ります。

 

春分3月20日までの短いあいだですが、太陽・金星・土星・海王星が魚座に集まるステリウムとなりますね。

 

最後の星座である魚座は、これまでの因縁を水に流して終わらせましょう、というサイン。自分のためにも、他者のためにも、いっぱい泣くことがお仕事です。

 

これがうまくいくとすっきりと新しいサイクルに入ることができますし、いろいろと思い残しがあると、それは<カルマ>として次のサイクルに持ち越されることになります。

 

しっかりと終わらせるコツは、未練や思い残しや後悔があっても、なぜなのかその理由がわからなくても「これ以上は自分にはどうしようもなく、何かをすることもできず、これで終わりなのだ」と、容赦なく「終わり」の幕を引くことでしょう。

 

後悔し続けることは、ある意味「終わり」にしたくないという思いでもありますね。

 

でも、それは終わっていないものを無理に断ち切ることではありません。できる限りの努力をしたうえで「もう、これ以上は何もない」と感じたところで終わらせることです。

 

引っ越しするときに、片付けて、不要なものを処分し、汚れた床や壁を磨いてから「おしまい」とすることであって、後片付けも始末もせずに終わったとするのは「とんずら」ですね。

 

とんずらは、他の誰かに始末を押し付けることで、結局は誰かが片付ける羽目になります。祭りのあとの始末は、誰がするのでしょうか。

 

誰かの後始末を押し付けられた人は、ある意味「犠牲者」といえるかもしれません。しかしそれでも、その人がやることで「終わり」ます。

 

これが魚座のシステム<あなたは私、私はあなた>という境界線のない、この世界の理で、家族の不始末を肩代わりしたり、会社でとんずらした人の仕事を残った人で仕上げたり、街や国の負債を現在の住民が支払ったりすることは、そう珍しくもないですね。

 

「全は個の集合であり、個は全の部分」というわけです。

 

 

ヒーリングの世界では、誰かひとりが癒されることで他の家族も癒されたり、ひとりの考えや態度の変化が他のメンバーに影響したりする、ということが標準的ですね。

 

ある意味の「人身御供」でもありますが、誰かが全体のために自身を捧げることで、全体の秩序とバランスが取り戻されるということを、本能的な感覚で、私たちはわかっているのでしょう。

 

現代人の感覚からすると「人身御供なんてかわいそう」「犠牲だ」と感じるかもしれませんが「全体のために奉仕する感覚」は、全体性を重んじる民族にとっては普遍的なものだと思います。


私の祖父は町の見通しの悪い箇所にミラーを設置したり、神社の鳥居を奉納したりといったことをよくしていたし、義母は教会のボランティアやバザーに毎月のように出ていました。

 

寄付する、奉納する、ボランティアする……それが匿名となると「陰徳を積む」と呼ばれますが、自身の能力や価値あるものを、それを与えてくれた自然環境や社会に捧げることで、全体に回帰しよう、つながろうとする感覚が、魚座の愛であり、全体のために<カルマを終わらせること>といえるかもしれません。

 

魚座や12ハウスや海王星がチャートで強調されている人には「自分が引き受けること」は、身近な感覚として、持っているのではないでしょうか。


小さきものへの愛。あるいは全体や自然へと溶け込む愛。

 

進化するテクノロジーとそのスピードがどんどん自然から私たちを切り離して「個人主義的な考え」を強化する時代ですが、土星と海王星が魚座に回帰している、この1年は全体に回帰する感覚も大切にしたいときだと感じます。