7ハウスでわたしは自分を実現する | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

別にわたしなどが改めて言うまでもなく、誰にとってもパートナーシップはとても重要なテーマです。

 

しかし、これをあえて占星術的な観点から言うとしたら『自分自身を自己実現させて、その自分を対外的に耐え得る形として磨き上げるために不可欠な存在』といえるかもしれません。

 

 

パートナーシップは占星術においては7ハウスのテーマです。

 

対人関係に関するものは他に3ハウスと11ハウスがありますが、3ハウスは偶然性による関係性…たまたま近所に住んでいる人とか、たまたま同じクラスになったとか、たまたま同期で入社したといった人たちを示します。

 

11ハウスのほうは、自分の価値観や信念で選んだサークルやグループ活動、趣味の集まり、仕事仲間などが該当するでしょう。

 

それらの対人関係のなかから「この人は特に気に合う」「この人が好き」「この人の教えに感銘を受けた!!」「コイツはライバルだ!!」と、特別な意識で相手を認定すると、それは7ハウスの関係へと突入します。

 

そして、わたしたちはこの緊密な7ハウスのパートナーとの関係を頼りに、あるべき自分の姿を実現し、それを維持するのですニコ

 

 

たとえば仮に『わたしにとって世界で一番大切なものは愛。だから、わたしは愛するということを大切にしよう』と思っている人がいるとします。

 

それを実践するために、近所で人と会ったら穏やかに接する、グループで仲間たちに思いやりを見せる、といったこともできますが、もっと深く愛を実践するためには、ずっと目の前にいて、それを受け取ってくれる相手が必要です。

 

それが7ハウスのパートナー

 

『自分はバリバリとビジネスして、稼ぎまくるぞ!!』と決めたなら、顧客や取引先、競合相手などが大勢、四六時中いることによって、それを実現する機会が訪れ、ビジネスセンスが磨かれるでしょう。

 

『わたしは人を癒すヒーラーになる』と決めたなら、大勢の患者や凄腕の師匠や学びの仲間やライバルによって、それが実現されて、腕が磨かれていきます。

 

 

わたしたちにとって、自己実現するためには、自分の意志を受け止めて、反映してくれるパートナーが不可欠なわけです。

 

自分がなにかの意志を示したときに、相手がどのように反応するかによって、わたしたちは自分がいま、どうであるのかを知ることができるでしょう。

 

その反応によって「これはウケる、もっとやろう」とか「これは反応がいまいちだからやめよう」と磨きをかけることができます。

 

なにか技術や学びを身につけたあとで「自信がないので、もっとできるようになってからやります」という人がいますが、7ハウス的にいうと「実際に試してみなければ、もっとできるようにはならない」ということですね。

 

自分がちゃんと理解していないところを知り、いち早くコツを身につけるためには実践が有効でしょう。

 

 

仕事でも技術でも学びでも自己表現においても、パートナーは非常に大切な存在ですが、結婚という観点でいうなら、これは「ビジネス」や「学び」といった部分ではなく、自分の人生を実現し、人格を磨き上げるための相手ということになります。

 

7ハウスが親友や恋人のみならず、ライバルや訴訟相手なども表すことからわかるように、パートナーとは「緊密に切磋琢磨しながら、よりベストを求め合う関係」といえます。

 

結婚相手はもっとも重要であり、同時に手ごわい相手となるでしょう。

 

 

その手ごわさは、どれだけ自分の意志を受け止める器量が相手に備わっているか、というところに表れます。ということは、向こうにとっては、こちらの器量が重要なわけですね。

 

ふたりの意志と器の大きさが似通っている場合は、あまり大きな問題にはならないでしょう。

 

なにかしたいことがあっても「いいね」とお互いに賛同し合い、息を合わせて、成長していくことができるはずです。

 

しかし通常の場合、わたしたちは自分に欠けているものを補完するパートナーを選ぶ傾向があるため、器の違い、意志の違いが随所に見られることのほうが多いかもしれません。

 

 

たとえば「わたしは社会で力を試したい。もっと勉強して、自分で仕事してみたい」という妻がいて、しかし夫のほうはそれほど社会的成功に興味がなく「最低限の社会的義務さえこなしたら、あとは家に帰って家族と一緒にのんびり過ごしたい」と思っているとしたら、どうでしょう。

 

しょっちゅう勉強に出かけ、仲間との会合で帰りが遅くなることが続くと夫は不快になるかもしれません。

 

それがエスカレートして、妻が夜や休日に出かけるたびに、嫌なことをして見せたり、嫌味を言ったりするようになると、妻もうんざりして、夫が留守の時間だけ内緒で出かけたり、行きたくても3回に1回までにしておいたりして、自分の本質にあるものが実現できず、フラストレーションが溜まるでしょう。

 

しかし、この夫が『バリバリと社会で活躍する女性はカッコいい。妻がしたいことなら、なんでも応援してあげたい』という器量の持ち主だとしたら、どうでしょうか。

 

妻が学びに出かけるのは大歓迎。その間の家事や子どもの世話などを全部引き受けて、むしろ、どんどん成長するのを喜んでくれるとしたら、妻のほうも応援してもらっている分、もっとしっかり頑張ろうと思うようになるでしょう。

 

 

パートナーの片方が何かを実現したいと思うとき、もう片方がそれを応援し協力してくれるか否か。

 

そして同時に、もう片方の自己実現も支えていけるか否か。

 

このバランスが良いほど、パートナーシップがうまくいっているといえるかもしれません。

 

どちらかだけが実現していて、どちらかは我慢している状態や、どちらも勝手にそれぞれやりましょうという状態は、バランスが良いとはいえず、そうすると自分の現実から乖離するわけで、そうすると人格が抑圧されたように気分に陥り、相手への恨みを募らせていく可能性があります。

 

 

しかし、なぜ、わたしたちは最愛の相手の望みを否定するのでしょうか?

 

愛する人の望んでいることぐらい、どーんと受け止め、応援してあげればいいではないか!?とも思うのですが、これが3ハウスや11ハウスの相手であれば、意見がどうであろうと、何をしていようと、自分に火の粉が降りかからない限り「へーえ、変わったことをする人ね」と見逃すことができます。

 

しかしこれが7ハウスの相手、特に結婚相手となると、パートナーの選択が相対的に自分の人生へ影響をもたらしますから、それがあまりにも自分のそれとかけ離れた望みである場合は「なに馬鹿なこと言ってるの」「ちゃんと現実を考えろ」「そんなことしないで」と、否定したくなるでしょう。

 

だけれども、パートナーのなかに見え隠れする「受け入れがたい部分」は、実際にはわたしたちが切り離している自分自身の一部の投影。

 

わたしたちが持っている『すべて』のなかには相反する要素が同時に存在します。

 

自分を大事にする---他者の意志を尊重する

 

自分のものを大切に扱う---時が来たら手放していく

 

いまここの現実を見る---その背後にある全体を見る

 

家を運営する---社会で活躍する

 

自分でやってみる---みんなに協力する

 

努力して達成する---何かをするのをやめる

 

自分がどちらかに偏っていて、使わずにいるものがある場合、それを他者に見出したとき、否定したくなるでしょう。

 

「相手がわかってくれない」あるいは「相手を変えたい」と、あたかも原因が向こうにあるように感じられるときは、最終的に相手と距離を置くか、別のパートナーを連れてくるか、抑圧されて恨みと苦しみと共に生きるか、という道しかないように思えるかもしれません。

 

しかし、これが、自分の選んでいない一部を相手が実践しているのだという視点に立ったとき、ふたりでひとつの「すべて」になるということができる可能性があります。

 

 

いずれにしても、異なるふたりを結びつけるものはコミュニケーションの架け橋。

 

異なる意見を出し合い、受け容れ合いながら、より着地点を見つけ出すのが7ハウスの切磋琢磨の醍醐味です。

 

これはとても時間がかかりますが、途中で疲れても、諦めず、投げ出さずに、愛をもって協力し合うことが大事。

 

そして、相手の内側に見る影を受け容れることで、自分の成長の糧にする、というのは、8ハウスの物語となるでしょう。

 

8ハウスについては、またいずれ。