人は、真理という源泉を種子として芽生えた存在であり、その源泉に心の目を向けることは、極自然なことであり、その行為は、この世界で完全なる自由に目醒める道を啓く。
私は、古い道教の寺を訪ねました。
長い石段を登ると、目の前に歴史を感じさせる門か現れました。
その門を潜ると、中庭を挟んで立派な本堂が建っていました。
その傍らに石碑があり、その前で若い夫婦が一心に石碑を磨いています。
何を磨いているのか・・・?
近寄っ見ると、石碑に道教のシンボル、タオが画かれています。
先程の夫婦は、その石碑に刻まれたシンボルを一生懸命に磨いていたのです。
「何をしているのですか?」そう尋ねると、女性の方が、少し悲しげな面持ちで「私達は子供を亡くしました。供養とお礼にお参りにと、ここへ参りました。」と答えました。
「それはさぞかしお寂しいことでしょう。」
そう言うと
「確かに悲しいです。でも、あの子は、今は全ての中に居ます。こうして目を閉じて感じれば、色々なものの中に居るのが感じられるのですよ。」
そう言うと、立位の禅、タントウをして見せた。
その時、私はハートに強い衝撃を覚え、感動に打たれました。
その深い感覚の中に、感謝と喜びに満ちたものを、一瞬に全てから受け取った気がしました。

すると本堂の方から一人の老師が現れました。
妙齢な老師は、私達の前まで来ると笑みを浮かべ深々とお辞儀をされました。
慌てて私も頭を下げました。
老師は、「私は寿量と申すこの寺の住職。そなたは遠くから来られたのじゃろう。ご苦労様。」
そう言うと、袂からいきなり何かを取り出し、徐にそれを私の胸の真ん中へ投げつけました。
途端に、胸の奥に光が燈りカッと熱くなるや、心の稼が外れて、ワッと涙が込み上げて来ました。
何が何だか分からず、号泣してしまいました。
老師は、「やっと一つに成れたな。」
そう一言呟くと、本堂へ消えて行きました。
訳も分からず、と言うのは、こう言う感覚を言うのでしょう。
何の感情も無く、ただただ涙が込み上げて来るのでした。
雨の日
気持ちはネガティブに偏りがちになります。
でも、目線を変えれば全く違ったものが見えて来ます。
潤う緑に、躍動するパワーを観じることが出来ます。
自然、地球は本当に素晴らしい。
お陰で私も潤いました。