神様って不公平だと思ったりしませんか?
姿、収入、性格、生まれた環境、病気や怪我。
しょっちゅうお参りしてるのに、ご先祖様に感謝してお墓も大切にしてるのになんで!
なんてことはよくある事と思います。
今の時代は恵まれてて、本当に心から感謝して生きなきゃいけないんだなって、私も最近思いました。
その話を書いていきたいと思います。
先日、実家へ帰った時に、おばあちゃんの遺品から写真が出てきた話になったのです。
その遺品とは、おじいちゃんの弟Iさんのの写真でした。
Iさんは、第二次世界大戦で戦死された方です。
でも、何故おばあちゃんが写真を持ってるのか?
正直誰にもわかりませんでした。
おばあちゃんとおじいちゃんは15歳の歳の差です。
しかも、おじいちゃんは離婚していてバツ1。
対しておばあちゃんは初婚。
断ろうと思えば断れたはずです。
あくまでも、私達の憶測なのですが、
もしかしたらおばあちゃんとIさんは結婚する予定だったんじゃないか?
2人は既に会っていて、本人もそのつもりだったんじゃないか?
写真は大切に、いつ戻るかもわからないから、いつも神様に祈ってたんじゃないか?
おじいちゃんとの結婚を断らなかったのは、誰に咎められることもなく、それこそ死ぬまで本家のお墓参りが出来るからじゃないか?
今となっては、真相は闇の中。
ただ、一つ。
おばあちゃんは親族で1人だけ、智辯学園で有名な辯天宗(奈良では有名な宗教)に信心していた。
私が覚えてる限りで、おばあちゃんが私達と一緒に初詣行ったのは一度だけ。
私は子供の頃訳も分からず、辯天宗の教祖さんのお廟にお参りに連れて行かれた事があります。
もしかしたら、神様のことすら信じられない気持ちだったのかもしれません。
だからこそ、新興宗教に救いを求めた。
そう考えると、本当に今ある私の幸せは私だけで出来ているのではなくて、先人の悲しみや苦しみの上にあると考えさせられました。
この話を聞いたライトは、
『でも、しょうがない。
なるようになってるし。
神様はそれでも平等だよ。
生きてる間にはうまくいかないようになってたんだと思うし、もしかしたらだけど…
おばあちゃんとおじいちゃんの縁が強すぎて、Iさん負けちゃったのかもしれないね。』
人には無数に運命を繋ぐ縁があって、自分で選んで糸を切ったり、手繰ったりしてる。
願わくば、誰も苦しまないで欲しい。
世の中から戦争で悲しむ人がいなくなって欲しい。
本当に心から思います。