無条件の愛は人の心を健やかに育みます。運よく親や周りの親しい人から無条件の愛を受けて育ってきた人もいるかもしれませんが、そうでない人も多いようです。
愛して欲しいときにタイムリーに愛してもらえることはなかなかありません。寄り添って欲しいときにそれを察知してすかさず寄り添ってくれる人がいたらいいかもしれませんが、そんなに都合よく来てくれる人にはなかなか会えません。しかし、自分であればいつ自分が寄り添って欲しいのか、また愛して欲しいのかすぐにわかります。そんなときは先日お話した自己受容をすればいいのです。
自己受容によって寄り添うことが対症療法だとすれば、根本原因を元から断つ方法が本日ご紹介する「自分を無条件に愛する」という行為です
無条件の愛。これは古くは2000年前の大賢人イエス・キリストによっても広められたものですが、今でもその効果は絶大なるものがあります。
先述のとおり無条件の愛を人から期待することは難しいところがありますが、人からもらえなくても自分が自分に与えてあげればよいのです。これは単に宗教的な意味合いではなく、即効性のある確かな技術なのです。
では自分を無条件に愛するとはどういうことなのでしょうか?それは「自分は生きているだけで価値がある」ことを認めることです。
要は条件付で自分を愛している人は自分に価値があると認めることも条件付になっています。
すなわち条件とは、
お金を稼げている自分には価値があり、稼げていない自分には価値がない。
家族に威厳を示せている自分には価値があり、威厳がなく恥をかいてしまう自分には価値がない
独身者の方であればガールフレンドがいる自分には価値があり、いない自分には価値がない
いろいろな条件を自分に課してそれをすべてクリアしなければ自分には価値がないと信じ込むことにより、価値がないと定義した状態に自分がいるときにうけた周りからの対応と「自分に価値がない」ということを結びつけてメッセージとして受け取ってしまうことが様々な問題の原因になっています。
無職の状態で長年いる人は自分には価値がないと思い、周囲から「ニート」だとか「プー太郎」などという言葉が聞こえるたびにネガティブな反応を示しているかもしれません。
服役中の人は、「犯罪者」というレッテルを自分に貼り、自分には価値がないと思い、周囲から白い目で見られていると思っているかもしれません。
配偶者よりも収入が少なくなったことで「稼げていない自分には価値がない」と思い、家族から軽蔑されていると思っている人は、家族からの何気ないメッセージにもネガティブな意味を加えて受け取ってしまっているかもしれません。私などはこのパターンで苦しんでいました。
ではどうすればその原因を断ち切ることができるのか?
「自分は生きているだけで価値がある」ということを理解することです。
その人にとって自分の魂の成長のためにそういった時期が必要なこともあります。前世のカルマを解消するために今そのようなことを体験している人もいるので、それを全うするためにもただ生きてその状態を続ける必要がある場合などは到底人智では量りえない深遠な意味がこめられています。生きているだけでその役割が果たせるのですから価値があるのです。
また、大きな組織の歯車となっている自分もその歯車がひとつ機能しなくなるだけで全体が機能しないのであれば、歯車ひとつの重要性はとても高くなります。
それぞれの人にはミッションという役割があり、各人がその人しかできない役割を果たすことで地球の未来を明るくするための偉大な事業が成し遂げられるように大いなる天の存在がシナリオを作ってくれているのであればどんなに小さな役割であってもそれを果たす人にはかけがえのない価値があります。
自分は生きているだけで価値がある
あなたは生きているだけで価値がある
自分には価値がないと思っているのは自分を条件付で愛しているからです。自分を条件付で愛している人は人に対しても条件を課します。
いい学校に合格した子供には価値がある。100点を取れない子供には価値がない。仕事ができる人には価値があり、できない人には価値がない。お金持ちの人には価値があり、貧乏な人には価値がない。
あなたが自分を愛するために持っている条件は、あなただけでなくあなたの周囲の人をも不幸にしていきます。
生きているだけで価値がある。 あるがままの自分を愛する事ができるようになれば周りの声は気にならなくなります。
つまり自己受容でよしよししてあげることがなくなっていくのです。すばらしいですね。
