(はてなブログとの二重投稿記事です)

 

このブログでは霊的存在から聞いた事項全てを公開している訳ではありません。

単純に執筆のための時間と気力が捻出できないという点も大いに関係しますが、それ以前に、霊的存在から「書かないで欲しい」と口止めされている情報も色々と存在します。

内心、嗜好といったプライバシーを堅持する目的で口止めされているケースもあります。ですがもっと道義的な理由、即ち自分たちの周囲を超えた影響を憂慮して口止めされている事項もいくつかあるのです。具体的には邪気などの『悪しき影響をもたらすもの』に関してです。

 

その理由は『霊的存在にとって情報は道である』からです。

発生している邪気の具体的な情報に関して記載すると、1記述につき話題に上げた邪気へと繋がる道が1本増えます。道は邪気と外界(邪気そのもの以外全て)を繋ぎ、邪気が移動する経路にもなるし、邪気に外界のエネルギーを補給する経路ともなります。何よりその記述を読んだ人と邪気を繋ぎます。それにより悪影響を様々な形で外界にばらまいてしまうのです。

 

道としての効力と知識を得てしまったことは結びつきません。邪気の詳細情報を読んだとして、その内容をずっと覚えていたとしても、元の記事が消されれば読んでしまった人と邪気を繋ぐ道は消えます(読んだ人が自らの言葉で拡散していなければ、ですが)。

 

この情報=道としての側面が覿面に発揮されるのは『不特定多数に向けたインターネット上の情報』です。逆に言えばメールでのやり取りなど、特定個人から別の個人に当てた、他人はまず見ない媒体であるなら上述の効果は発生しません。個人間の袋小路となり、二人の世界の外側に繋がらないからです。これに対し、あらゆる人類がアクセスできる公開ウェブサイト上の情報は『常に外側にある』とでも言えます。

流通している書籍内の情報も道としての効果は持ちますが、その本を購入して(電子書籍であっても)手に取らなければ情報にアクセスできない分、道としての影響力は弱まります。

 

ちなみに善き存在に関する情報であっても同じことが言えます。代表的な存在が神仏です。寺社仏閣を参拝して体験したこと、神仏への信仰心、好意、感謝の心。更に言えばそれすら省いた客観的な情報のみでも効果があります。神仏に関する記述をインターネットで公開すると神仏への道が生まれます。その道を通って読んだ人がその神仏へと抱いた興味が神仏へと流れ込み、力となります。

知られることが霊的存在に力を与え、知られていないという状況が霊的存在を弱らせるのです。

 

私がこのブログにおいて知り合った霊的存在、更に彼らからエピソードを聞き取れた霊的存在について記載するのは彼ら自身を皆様に知ってもらうことにより支援するためでもあります。

皆様も参拝した、興味を持った寺社仏閣や神仏については気軽に発信することをお勧めします。それが我々を守ってくださっている大いなる存在への恩返しにもなるためです。