特にやることもなくて暇すぎるゴールデンウィーク。
言い方悪いかもしれないけど、暇だから、ボランティアに行くことにした。
愕然とした。
原チャで家から30分程度のとこ。
バイトで行ってた塾の目の前。
テレビのニュースで見る景色が、目の前に広がってた。
そこに住んでる人達は、元気だった。
だけどなんていうか、簡単に、「無事で良かったですね」なんて、言えなかった。
震災からもうすぐ2ヵ月経つ今だから、開き直ったように、元気に笑ってみせられるけど、
きっと、
いっそ死んでしまった方が楽だったのに
って、思ってた人だって、いっぱいいるだろう。
やっと建てた家が流された人もいるだろう。新車が流された人もいるだろう。
家族が、友達が、知り合いが、亡くなった人だっているだろう。
ライフラインも閉ざされ食べるものもなく、自分の命をつなぐこともままならなかっただろう。
昨日今日って、立派なお家に住んでるおばあちゃんのお手伝いに行った。
すごく申し訳ないけど、どう考えても、もう、住むことはできない、と、思う。
目線ぐらいまで水の跡がくっきり残ってる家は、
掃除すればとかもはやリフォームって言ったって全部建て直すしかないんじゃないかって状態で、
だから、何時間も何日もかけて家中のヘドロを取り除いて、トイレやお風呂を掃除(しようと)したって、
その作業は、一見、無駄なのかもしれない。
でも私達は、おばあちゃんに言われるがままに、ひたすら作業をする。
果たしてここに住めるかどうか、住むかどうかの問題じゃなく、
おばあちゃんがちょっとでも満足してくれること、
それが肝心で、そのために私達はいて、
だからそれは、無駄じゃないんだって思った。
例え、もう壊すしかない、ってなるとしても、
おばあちゃんが納得いくまで作業を続けること、
それが大事なんだって、思った。
本当におばあちゃんが、どうしても離れたくなくて、なんとか住むつもりだとして、
そしたらおばあちゃんにとって、例えば新しい綺麗なアパートに住むこととどっちが幸せなんだろうって、
今日一緒に作業してた人とちょっと話してた。
幸せって、なんなんだろう。
生きてるって、何を以て言うんだろう。
いっそ死んでしまった方が楽だったのに
つい半年ぐらい前に、心からそう思った。
心底、“いっそ殺してほしかった”と思った。
元々家も持ってない(自分の部屋もなくなった実家は、所詮“親の家”だと思ってる)。車も持ってない。お金もない。仕事もない。
たぶん、学生が持ってるものなんて、きっと元々すごく少なくて、
だから、ちょっとしたことかもしれないことは、すごく大きなことで、
私にとって部活は、部活の仲間は、特別なものだった。
それは日常であり生きがいであり、今という時のほとんど全てだった。
部活のための学校で、部活のためのバイトで、
全ての中心には部活があった。
空っぽな上に、傷だらけだった。
怖かった。
自分が恐ろしい化け物のように感じた。
自分なんていなければ良かったのにって思った。
真っ暗だった。
何も見えなかった。
毎日毎日、ただ横になって震えることしかできなかった。
ご飯を食べることも水を飲むこともトイレに行くことも何もしたくなかった。
生きているというのは、きっと、やりたいことがあるということだ。
やりたいことをやるのが、生きるということだ。
人は生きるために、小さなやりたいことをやりながら、
大きなやりたいことを探し、
やりたいことをやるために、やらなきゃいけないことをする。
やりたいことが達成されたら、もっと大きな、あるいは新たなやりたいことを探し、
そうやって幸せを追求していく、
それが人生なんじゃないかな。
やりたいこと、それがつまり、夢ってやつなんじゃないかな。
うーん…
なんかいまいち考えたことが書けてない気がする…。
とりあえず、
明日も勉強よりやりたいことをしてこよう(笑)