6月18日、ベルリンでは自転車レース「Garmin Velothon」が開催されました。
これに伴い、ブランデンブルク門、ポツダム広場、戦勝記念塔 等、
ルート周辺の道路では、午前06:00~17:00まで車両進入禁止となり、終日かなりの混雑が予想されます
ということを知ったのは、
オランダの自宅に戻ってからだった。
タクシーを拾おうにも車が走っていない。
なぜかわからないけれど、
警官や、ボランティアらしき人たちがたくさんいる。
きっと、何かのパレードか、マラソン大会か、
そんなものがあるんだ、、、ということだけはわかりました。
タクシーの運転手さんらしき人が、
「タクシー探してる? どこ行くの?」と聞いてきた。
「ベルリン中央駅」ラッキー、乗せてもらえる!と思ったら
「ダメダメ、通行止めだから行けないよ」って言われた。
なので、タクシーは諦めて、電車を乗り継ぎ
ベルリン中央駅まで行くことにしました。
珍しく、
少し時間に余裕を持ってホテルを出たので
予約してあった電車に乗れましたが、
いつも通りの感覚でホテルを出発していたら、
オランダに戻る電車に乗り遅れるところだった、、、
やっぱり早め早めの行動が、安全で快適な旅行の鍵ですね。
ベルリンのブランデンブルグ門
ベルリンの壁はもうなくなっちゃったけど、
30年越しで、やっとこの地に立てた。
感慨ひとしお。
ベルリンの壁があったところには、
レンガが埋め込まれている
ベルリン中央地区の地図
ピンクのラインが、壁が立っていたところ
(正確には赤い点線のところ。ラインがちょっとずれました)
大学の卒業旅行でくるはずだったヨーロッパ。
新潟からハバロフスクに行き、
シベリア鉄道に乗って大陸横断。
モスクワ観光後ドイツに入り、
そこからフランス、スペインまで
ユースホステルに泊まり、
夜行電車で移動する、という、
1ヶ月の旅になる予定だった。
全て準備完了し、出発は2週間後だった。
ソビエトのビザも、
シベリア鉄道の切符も、
全て整い(正確には友人が全て手配してくれたんだけど)、
あとは出発を待つのみ。
出発の2週間前になって、父の病気が発覚。
手術日と卒業旅行の日程が重なった。
父は行ってこい、と言ってくれたけど、
叔父や母は猛反対。
当時中学生だった弟も不安そう。
そうだよね。きっと私も楽しめない。
行ったところで、この先ずっと
「父が入院している間、家族が大変だった時に、私は旅行に行った」
という罪悪感を抱えながら生きていく、と思ったら、行かれなかった。
父と一緒にいてあげたい、とか、家族に申し訳ない、とか、
家族で協力しなくちゃ、とか、そんな思いではなかった。
ただ、罪悪感を抱えながら、残りの人生を歩むのは嫌だな、
という、勝手な気持ち。
友人との旅行はまたいつか行ける。
「いつか必ず行こうね」と友人と約束し、卒業旅行はお流れになった。
その友人とは、年賀状の交換だけになってしまったけれど、
ベルリンに来て、私は、
あの時の約束を一人果たしたような満足感があった。
あの時、2人でヨーロッパ旅行に来ていたら、
私たちの今は、何か違うものになっていたかな、、、
私は、どんな人生を歩んでいたかな。
ブランデンブルグ門を旧東側から眺めながら、
想像の域を超えない儚い想いに浸った。
「もしも、あの時こうしていたら」
その「もしも」を選ばなかったのは自分だし、
今は、「もしも」と違う道を歩いているかもしれないけれど、
結局行き着く先は同じなのかもしれない。
何千、何万の通り道があって、どの道を通るのかは選択できる。
目的地を見失わなければ、どこを通ってもいいし、寄り道したっていい。
でも歩く途中で、別の場所に行きたくなるかもしれないし、
それはそれで、またまたオッケー。
なんでもあり。
最終目的地は、
みんな同じ。
それぞれの人生最後の日。
今生を生き切ること。
もし魂があるとしたら、、
輪廻転生があるとするならば、
魂の最終目的地はどこになるんだろう?
「あの世に持って帰れるのは感動と経験だけ」
これは確か、江原啓之さんの言葉だったかな。
だから、精一杯、誠意一杯、生きれば良いのだ、
ということを、
とても考えさせられた日でした。
今を精一杯、誠意一杯生きる。
後悔しない生き方。





