今日、今年就職した後輩とチャットで少し話をした。
久しぶりの会話の中で、彼女は就職した会社の環境、それに対して今正直に思ってる感想や考えを色々話してくれた。
その彼女の語る様子は、チャット上とは言え、自分が新入社員だった頃に先輩社員に語っていた様子と、何か重なっている気がした。
社会人になりたての彼女の真っ直ぐな意見や考えを聞いて、自分がもし、その彼女と今全く同じ環境にいると仮定して、そこで出てくる自分の意見や考えを比較した時、俺は社会人3年目なんだって事を改めて自覚させられた。
彼女との会話の中で、一つのトピックがあった。
それは「評価」。
彼女は、早い段階からダイレクトに導入されている今の会社の評価制度に負担を感じつつも、大きな「やる気」を表に出していた。
この話をしていて、ふと感じた事がある。
それは「若手のやる気低下」と「評価制度」の関連性。
「成果主義」という言葉がトレンドになってきた今の日本において、その実力勝負に挑む事に対してモチベーションのベクトルを向けて就職する学生は増えてきていると思う。
でもたまに周りからこんな事が聞こえてくる。
『自分たちの能力を評価する人間が、それまで特に厳しいハードルを越えてこなかった上司だという矛盾に対する非難や不満。「成果主義」の経験の無い人間が、どうやって公平に評価できるのかという疑問。』
彼女の言葉の中に、「職場での劣等感から来るやる気」という言葉があった。
自分よりも能力の高いと感じる仲間が周りにいて、それに対して劣等感を感じながらも、逆に挑戦してやろうというポジティブなモチベーションを生み出せている・・・・と彼女は語った。
今は次々に来るTaskに一生懸命で他の事は頭に無いかもしれないが、ある程度仕事のペースを掴んできた時に、自分を奮い立たせて起こした挑戦に対する結果、つまり評価について今以上に真っ直ぐ向き合う時が来るだろう。
その時に、彼女は、どう思うのだろうか?
もし自分の能力・努力不足からではなく、評価制度自体に対して劣等感を感じた場合、そこから彼女はもう一度挑戦というモチベーションを奮い立たせることができるだろうか?
できるとしたら、その気持ちは具体的にどこからくるんだろうか?
俺だったら、どうするだろうか?
久しぶりの会話の中で、彼女は就職した会社の環境、それに対して今正直に思ってる感想や考えを色々話してくれた。
その彼女の語る様子は、チャット上とは言え、自分が新入社員だった頃に先輩社員に語っていた様子と、何か重なっている気がした。
社会人になりたての彼女の真っ直ぐな意見や考えを聞いて、自分がもし、その彼女と今全く同じ環境にいると仮定して、そこで出てくる自分の意見や考えを比較した時、俺は社会人3年目なんだって事を改めて自覚させられた。
彼女との会話の中で、一つのトピックがあった。
それは「評価」。
彼女は、早い段階からダイレクトに導入されている今の会社の評価制度に負担を感じつつも、大きな「やる気」を表に出していた。
この話をしていて、ふと感じた事がある。
それは「若手のやる気低下」と「評価制度」の関連性。
「成果主義」という言葉がトレンドになってきた今の日本において、その実力勝負に挑む事に対してモチベーションのベクトルを向けて就職する学生は増えてきていると思う。
でもたまに周りからこんな事が聞こえてくる。
『自分たちの能力を評価する人間が、それまで特に厳しいハードルを越えてこなかった上司だという矛盾に対する非難や不満。「成果主義」の経験の無い人間が、どうやって公平に評価できるのかという疑問。』
彼女の言葉の中に、「職場での劣等感から来るやる気」という言葉があった。
自分よりも能力の高いと感じる仲間が周りにいて、それに対して劣等感を感じながらも、逆に挑戦してやろうというポジティブなモチベーションを生み出せている・・・・と彼女は語った。
今は次々に来るTaskに一生懸命で他の事は頭に無いかもしれないが、ある程度仕事のペースを掴んできた時に、自分を奮い立たせて起こした挑戦に対する結果、つまり評価について今以上に真っ直ぐ向き合う時が来るだろう。
その時に、彼女は、どう思うのだろうか?
もし自分の能力・努力不足からではなく、評価制度自体に対して劣等感を感じた場合、そこから彼女はもう一度挑戦というモチベーションを奮い立たせることができるだろうか?
できるとしたら、その気持ちは具体的にどこからくるんだろうか?
俺だったら、どうするだろうか?