昨年亡くなられた愛知大学演劇研究会OB前田直樹先輩の記事を書いております。

当時のことを知る人が数少なくなった今、それを書き記し、多くの人に前田さんのことを思い出していただくことが残されたものの責務かと思い、またご供養かと感じ、

拙文をしたためております。

 

前田さんの作・演出の「オレンジ通り13番地」という芝居。

画期的な演出だったのが、舞台に生バンドを登場させ、生演奏で芝居の音楽をつける、というものだった。

これも前田さんの強い意向だった。

バンドの生演奏を入れたい!

その思いを受け、

同じ大学の軽音学部に話を持って行くと快諾。

キーボード、ドラム、ギターの3人編成で本番に登場してくれることになった。

軽音学部には、幾つかバンドがあり、当時サンタナのカバーをしていたガラパゴスというバンドのメンバーから選出してもらった。確かメンバーは、竹内さんというリードギターに、瀬戸谷さんというキーボード、ドラマは覚えていないが、そんなメンバーだったかと思う。いくつか芝居のシーンに合わせてオリジナルの曲を作ってくれた。

本番中、時にはバンドメンバーが、舞台に登場するなどかなり派手な演出だった。

当時、唐十郎の紅テントや佐藤信の黒テントなど

テント芝居が活況を呈し流行していたが、流石に生バンドが舞台に登場する演出はなかったかと。

前田さんは人のやっていないことをやる「行動の人」だった。

 

前田さんの演劇に対する熱量は半端なく、脚本家、演出家としても才能があったのだと思う。

その一年前には、「微熱の少年少々群愛の戦慄編」というオリジナル脚本を執筆。演出した経緯もあり、溢れ出る創作の想いを形にしていった人だった。

卒業後、その道に進むかと思っていたが、大手企業にに就職した。

もし芝居を続けていたのなら…。

どんな演出家になっていたか、と思う。


やはりこの芝居が、僕の中では演劇の原点だったような気がする。

 

愛知大学演劇研究会に、

一学年上の先輩に芸名白鳥銀次こと前田直樹という先輩がいた。

演劇が大好きで熱血漢。

自ら脚本を執筆し演出する多彩な人だった。

 

僕が大学2年の夏の本公演、前田さんは「オレンジ通り13番地」という脚本を書き、

自ら演出することに。

なぜか1学年下の僕が舞台監督に指名され、役者もやることに。

 

今思えば、その脚本は

キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」と

ミュージカルの「ウエストサイドストーリー」の着想からなのか、

前田さんの意図は分からないが、

謎のオレンジを求めて2つの若い者集団が抗争を繰り広げる展開で

ちょっぴりラブロマンスも盛り込んだ秀作だった。

そして若者集団のリーダー役を僕が、その手下を今も役者を続けている山口未知(ぐっちゃん)が演じることに。

 

公演は、愛知大学豊橋校舎演劇研究会アトリエと名古屋白川公園のテント公演の2か所で行うこととなった。

矢作建設から借り受けた建設資材のイントレを白川公園に運び込み、

スタッフ総出でくみ上げるも、そこは素人。あれこれ資材が足らなかったり、要領がつかめなかったりで、なかなかテントが立ち上がらない。しかも雨が降り出した。やがて夜になってしまい、みんな青いビニールシートにくるまって仮眠。翌朝、ようやくテントが立ち上がった、なんてこともあった。

 

おかげで本番は大盛況。

テントにたくさんの客で溢れかえった。

舞台中央に藤田嗣治画伯の「誕生会」の絵をモチーフにした巨大な油絵が飾られる。

なぜ前田さんがそんな舞台美術を考えたのかわからないが、素敵な舞台に仕上がった。

 

それが青春時代の思い出。

 

その前田さんが昨年亡くなっていたことがわかり、

先日、当時の仲間で墓参りに。

前田さんの奥様と昔話をした。

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真渓ハナちゃんに会いました!
東新町を歩いていると後ろから女性に声をかけられました。
なんとハナちゃんでした。
タレント、MCとして活躍中。
20年近く前に、
情報番組でよく一緒にロケに出かけました。

全然変わらない姿にびっくり‼️



ショップチャンネルの、仕事を26年続けているそうです。たいしたもんです。いつも元気で明るいお人柄ですからね。みんなから慕われるはずです。
声をかけてくれてありがとう!また会いましょう。