「○○を信じている」という人は、
実は、疑っている人だと、おっしゃったのがお釈迦様でした。
もしかしたら、別の彼氏と歩いているかもしれないと思うから、
「僕は彼女を信じているよ」という言葉になります。
もしかしたら、返してもらえないかもしれないと思うから、
「彼は、きっと年末までに返してくれると信じている」と
言うのではないでしょうか。
「私のお父さんは男だと信じている」とは言いません。
風呂に入って確認していますから。
「私のお父さんは、男だと、知っている。」なら、わかります。
もし、信じている、という人があれば、
もしかしたら、お父さんは、女かもしれない、と思っているのでしょう。
これは問題です。
「昨日の天気は、雨だったと信じている」という人はありません。
体験済みのことですから。
「昨日の天気は、雨だったと知っている」ならば、わかります。
信じている、いう人があれば、外の様子が一切わからないところに、
1日中監禁でもされていたのだろうかと思います。
あるいは、「明日の天気は、晴れると信じている。」ならわかります。
明日は運動会だから、晴れてもらいたい、
でも雨かもしれない、と思えばこそ、
信じている、の言葉となって出てきます。
一切疑いが無い時に、私達は「知っている」という言葉を使います。
何かを信じなさい、信じて拝みなさいとは、
一切おっしゃらなかったのが、お釈迦様でした。
仏教に説かれている本当の幸せに、
生きている時になれる時があるから、
本当だったとハッキリ知らされるところまで、聞きなさいと、
勧めてゆかれたのが、お釈迦様でした。
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