アメリカシロヅル  を野生に帰す試みが続けられている、というニュースをNHKで見た。
少し前に、人為的作為が自然環境を悪化させているというニュース(主に地球温暖化)から、教訓を得たような活動。
こういう活動は、ちょっと前とは言わず、あまり多くに知られることなく脈々と続いていることなのだ。
自然を元のカタチに戻す、、、ことは、難しいかもしれないけれど、できるかぎり修復していこうという謙虚な活動には頭が下がる思いになる。

気持ちの上では、そうそうそうそう!!!と共感できるし、頭の中でも理解しているつもりでも、自分の生活を振り返れば、まだまだ人工的な活動に囲まれた生活。
これを偽善的、というには自虐行為に近くもなるけれど、人工的な世の営みに対して、行き過ぎを感じたり、足踏み状態に陥ったりすることもある日常生活。
自分の内部のどこかに自然回帰の想いが宿っているのだろう。

シロヅルが、健気にも保護活動を営む人間を「親」と認識し、人間が野生に帰すべくうながす行動を身につけてゆく様に、心が安堵する。
シロヅルに対して、おまけで自分自身に対しても。


自然は放っておけば猛威になり、人の営みをいとも簡単に奪ってゆく。
奄美大島の災害をみても、それは歴然とした事実。
でも、今は天候すらも人為的行為が影響を与えている、という話だって、それなりの説得力を生む。
鶏が先か、タマゴが先か的話で討論すれば終わりのない展開になりそうなことだけど、結局のところ、天の恵みに感謝しつつ、自力の備えも必要・・・というひどく具体性にかける教訓だけでは、受け身すぎかなぁ。

自分が、何をするのがいいのか、よくわからないのって困る。
考えすぎ、配慮しすぎになると、自分の気持ちや行動もスローダウン。
本来はスローな自分の感覚に従うのが天分ということか。


中庸で在るって、曇り空に似ている。
ピカピカな太陽日和は活動するには最高だけど、そればっかりでは疲れる。
かといって、一気に雨ザーザーだと何もする気がなくなってしまう。
そんな気分に曇り空ってうってつけのありがたさ。