なんでも、楽しむ気持ちを損ねたら
もったいないなぁ~って改めて思った。
基本的には、楽しむ気持ちがある。
じゃぁ、なぜ、それだけで留まらないのか?
例えば、掃除。
掃除って一瞬、めんどくさいって思いつつ、
やり始めると気持ちよくできる。
(もちろん、それほど汚れないうちにするからだけど)
でも、じゃぁいつも掃除してて、って
掃除役と決め付けられてしまうと
だんだんと楽しい気持ちが薄れてくる。
自発的に、「掃除しよう」と決めて
行動したときは「きれいにしたい、気持ちよい環境にしたい」
という目的や目標が自分の中に明確だから、
楽しむ余裕も生まれてくる。
でも、「掃除やってよ、あなたの役目でしょ」とか
「掃除はあなたがやるのが当たり前」
みたいな反応を受けるようになると、
反抗心、というか自発性が失われていきやすい。
他者からの影響で感情的に反応し、
自分本来の意思や行動を見失っている時間だと思う。
掃除が終われば、掃除に捉われる必要など、ない。
キリがなくなるなら、範囲はその日、自分が決めた分だけ、と決める。
自分が始めたことは、自分で終わらせることができる。
感情の不和は本当にややこしいと思う瞬間。
自分とそれ以外の区別をつけていないと、
そういう余計な煩悩タイムが増えてゆく。
だから、それに気がついたら
「今の嫌悪感って何だろ?」っと、ちょっとの間、
静かに向き合うとよいかも?と思った。
糸がどんどんこんがらがる前に、元どおりの
真っ直ぐな糸に戻す。
自分は自分、他人は他人。
バラバラな関係、、、という意味ではなく、
お互いを尊重し合い、思いやりをもちつつ、自由を生きるための大事な作業だ。
風邪は引き始めが肝心、気になったら早めに休んで直ぐに治す。
これと同じ。
ようは、感情を平常に戻すこと。
そうすると、自分の意思がわかるようになってくる。
やりたくないことを無理にやる必要など、ない。
そういうことを繰り返していると、他人にも同じことを押し付けるようになるから。
それよりもされてイヤだったことは他人にはしない、と心がける。
私は、ずっとそのことを意識し努力してきた。
自発的にやろうと決めたことをやれるって、
とっても恵まれていることだし、ラッキーなことだし、
幸せなことだし、豊かなこと。
それだけで心が満ちることだ。
そういうことは、あまり大きな声で振りまかない。
むしろ、静かに、その喜びを味わい、かみしめたいもの。
歳を重ねるにつれ、そう考えるようになってきた。
自分で自分を保つ。これが自立の精神の第一歩。
相手には寄り添うような気持ちで、傍にいるだけ。
お互いがその気持ちであれば、静かな間合いにも、伝わるものがある。
それで、充分。
もし、自分の気持ちや思い、考えを言葉や態度に示すならば、
和を保つためにどう表現するか?を意識し考える余裕をもつ。
それが、知的で謙虚で粋だと思う。
まだまだ、それがうまくないのだけど。
(というか、それができるってすごいことだと思います)
こういう考え方は、あんまりパワフルなのって、得意じゃないからかも。
人間のパワーゲームは、私はわりと苦手な方。
だからか、直接的なことよりも、間接的に表現できるようになりたい、
というのが若いころから思い描いていたことだ。
言葉で直接、よりも文章化するほうが無理なく自然にできるし、不足が少ない。
文字だけでなく写真や絵など、具体的なことよりイメージ的なこともとても好き。
より情緒的に、想像する余白があるほうが、優しい気持ちにもなれる。
自分を知り、強さや弱さを理解した上で、自分を貫く。
そういうスタンスが、感情的不和を招かない。
経験的に、そう思う。
自分を見失っていたときの、不安定で、違和感の連続で、言い訳がましい姿は
自分ながらに気持ちも離れてゆく。
孤独を感じる作業だけど、自分と向き合う時間は大事。
自分を見失っているような状況だと気づいたら、
少し深く息を吸って、自分と対話する時間を持ちたいと思う。
もったいないなぁ~って改めて思った。
基本的には、楽しむ気持ちがある。
じゃぁ、なぜ、それだけで留まらないのか?
例えば、掃除。
掃除って一瞬、めんどくさいって思いつつ、
やり始めると気持ちよくできる。
(もちろん、それほど汚れないうちにするからだけど)
でも、じゃぁいつも掃除してて、って
掃除役と決め付けられてしまうと
だんだんと楽しい気持ちが薄れてくる。
自発的に、「掃除しよう」と決めて
行動したときは「きれいにしたい、気持ちよい環境にしたい」
という目的や目標が自分の中に明確だから、
楽しむ余裕も生まれてくる。
でも、「掃除やってよ、あなたの役目でしょ」とか
「掃除はあなたがやるのが当たり前」
みたいな反応を受けるようになると、
反抗心、というか自発性が失われていきやすい。
他者からの影響で感情的に反応し、
自分本来の意思や行動を見失っている時間だと思う。
掃除が終われば、掃除に捉われる必要など、ない。
キリがなくなるなら、範囲はその日、自分が決めた分だけ、と決める。
自分が始めたことは、自分で終わらせることができる。
感情の不和は本当にややこしいと思う瞬間。
自分とそれ以外の区別をつけていないと、
そういう余計な煩悩タイムが増えてゆく。
だから、それに気がついたら
「今の嫌悪感って何だろ?」っと、ちょっとの間、
静かに向き合うとよいかも?と思った。
糸がどんどんこんがらがる前に、元どおりの
真っ直ぐな糸に戻す。
自分は自分、他人は他人。
バラバラな関係、、、という意味ではなく、
お互いを尊重し合い、思いやりをもちつつ、自由を生きるための大事な作業だ。
風邪は引き始めが肝心、気になったら早めに休んで直ぐに治す。
これと同じ。
ようは、感情を平常に戻すこと。
そうすると、自分の意思がわかるようになってくる。
やりたくないことを無理にやる必要など、ない。
そういうことを繰り返していると、他人にも同じことを押し付けるようになるから。
それよりもされてイヤだったことは他人にはしない、と心がける。
私は、ずっとそのことを意識し努力してきた。
自発的にやろうと決めたことをやれるって、
とっても恵まれていることだし、ラッキーなことだし、
幸せなことだし、豊かなこと。
それだけで心が満ちることだ。
そういうことは、あまり大きな声で振りまかない。
むしろ、静かに、その喜びを味わい、かみしめたいもの。
歳を重ねるにつれ、そう考えるようになってきた。
自分で自分を保つ。これが自立の精神の第一歩。
相手には寄り添うような気持ちで、傍にいるだけ。
お互いがその気持ちであれば、静かな間合いにも、伝わるものがある。
それで、充分。
もし、自分の気持ちや思い、考えを言葉や態度に示すならば、
和を保つためにどう表現するか?を意識し考える余裕をもつ。
それが、知的で謙虚で粋だと思う。
まだまだ、それがうまくないのだけど。
(というか、それができるってすごいことだと思います)
こういう考え方は、あんまりパワフルなのって、得意じゃないからかも。
人間のパワーゲームは、私はわりと苦手な方。
だからか、直接的なことよりも、間接的に表現できるようになりたい、
というのが若いころから思い描いていたことだ。
言葉で直接、よりも文章化するほうが無理なく自然にできるし、不足が少ない。
文字だけでなく写真や絵など、具体的なことよりイメージ的なこともとても好き。
より情緒的に、想像する余白があるほうが、優しい気持ちにもなれる。
自分を知り、強さや弱さを理解した上で、自分を貫く。
そういうスタンスが、感情的不和を招かない。
経験的に、そう思う。
自分を見失っていたときの、不安定で、違和感の連続で、言い訳がましい姿は
自分ながらに気持ちも離れてゆく。
孤独を感じる作業だけど、自分と向き合う時間は大事。
自分を見失っているような状況だと気づいたら、
少し深く息を吸って、自分と対話する時間を持ちたいと思う。