久しぶりの自発的早起き。
今日は、雨。
朝のBGMはクラシック。
詳しくないので、レコード会社が厳選した「Best Classics100」みたいなものを聴いている。
さわりの小節や、有名な部分だけを集めた、多種多様な入門編。
なんとか100みたいな寄せ集め的CDのよさは、次から次へと作曲家や楽曲の切り換えが早いので、気持も頭も軽快に移り動きやすいところ、だと思う。
集中して聴き入るには不向きだけれど、まず、いろんな音楽があるということを知るためのとっかかりとなる。
好き嫌いで聴いていては幅が広がらないので、とりあえず、いろいろと耳を傾けてみよう、何気なく。
そんなスタンスで聴いている。
そのうち、時期がきたら
「気に入った楽曲や作曲家の音楽をじっくりと味わって聴く時間を持つ」
というのが、ささやかながら、今後の人生の目標のひとつである。

クラシックを好きになるとは、思わなかった。
学生時代、音楽の授業で「レコードを聴く」ときは、たいがい眠くなるか、絵を描いて時間を潰すか・・・みたいな聴き方しかできなかった。
なにがよいのかさっぱりわからなくて、音楽の先生が情感込めて「クラシックの素晴らしさ」を説いているのを、不思議に眺めているのが常だった。

が、今は、朝はクラシック、となった。
専門家みたいに薀蓄は語れないし、解説者のように音楽家や楽曲についてどうこう言えるレベルでもないけれど、音を生活に取り入れ、愉しんだり、活用したりすることができることは喜びである。


多感な20代には、日常生活から解放される時間を求めて衝動的に旅にでることもあった。
旅の最初は、刺激にまかせて自分も開放的になり、見るもの聞くもの全てが新鮮な気持になるのだけど、旅の終わりには、いつも「日常生活の大切さ」を感じて帰途についたものだ。
「観光客」としての居心地はあまりよいものではなく、どこに行っても、そこで日常生活を愉しんで生きる人の姿がなにより大事なことに思えた。
さらっと眺めていても、そこに自分の居場所はない。
それ以降、むやみに旅に出ることはなくなり、私は、日常生活を豊かに愉しむことに気持をシフトした。

衝動的に、その場を離れたいと思うことは、今でもある。
でも、そういうときにも、音楽・・・とりわけクラシックは、心の落ち着きを取り戻すための作用がある。
故郷のような、これ以上の原点はないという絶対的な存在感。
決して脅迫的ではなく、圧倒されることもなく、誰の心にも響くであろう音色の美しさ、やわらかさ、静けさに導いてくれる。

朝に聴く音楽は、私はクラシックがベストだと思う。