さて、週末。
たまった日経新聞を読む、朝一の課題から。

今日の一面トップNewsは、
「中国、主要産業で大型合併」
「米失業率、8.1%に悪化」
「働くニホン、現場発 納得評価で編み直す」

この3つから、世界の動きを垣間見る。

アメリカに追いつけ追い越せ、と戦争敗北後、自己をかなぐり捨てて日の丸さながらに情熱だけでアメリカに寄り添い追いかけ続けた結果、かなりの経済傾倒国となり、弱肉強食化し、人の心というものすら「知識」でまるめこむことに長けた「世界一を目指す日本」という構造は、もう通用しないようである。
アメリカに、まだ、回復の兆しは現れそうもない。
そして、アメリカより更に、景気悪化・株価低迷の加速化がすすんでいるのが日本の現状である。

アメリカは、移民の国。
階級社会の息苦しさから解放され、新しい価値観を求め、自由という名の元に築き上げられた大国は、結果的に格差社会を生み出した。
個人の資質のみに特化した結果、勝てばアメリカン・ドリーム。が、そこに至るには全体の1%ほどの個になるしかない。残りの99%は1%をあやかりつつ、常に競争に身をさらさなければならないのが本音である。
しかも、平等社会といいつつも、階級社会の名残・人種差別の壁もまだ高々とそびえている。
そんな国から生まれた、ビジネスというカテゴリーで形成された「システム」が、アメリカ主導で世界中に推し進められたはいいが、価値が「金」一辺倒となりすぎ、立ち行かなくなってしまった。
サブプライム問題が全ての引き金のように言われているけれど、問題は「金」をあやつる人間心理だと私は思う。

オバマ大統領がアフリカ系の初大統領に就任。
イメージアップとしてのアメリカの戦略は、簡単には世界各国には通用しない。
イメージだけでは納得しない。
各国は、それぞれの地の利を生かした政策で、国の存続という課題に向かって始動している。
というか、欧州などは金融建て直しに必死で、政策云々という記事はあまり見かけない。
力での戦い・奪いの連続の歴史社会には、それ以外の政策という発想が難しいのではないだろうか?


中国は、もともと社会主義国、中央集権国家としての歴史が長い。
トップが主導権を握り、国民はその意向・思想についていくのである。
「個」を優先するアメリカからしたら理解しがたいかもしれないけれど、中国は「個」ではなく、「国家」を優先すると思う。
さらに言えば、個をボトムアップしたより豊かな大国(狙いは世界一?)を目指すように感じられる。
現に、景気刺激に歳出109兆円で、
①経済刺激策の実施
②減税推進
などの政策により、
③雇用維持と社会安定に不可欠の成長率8%
を目指すために内需拡大策が加速的に進む見通し。
先進国が生み出した「優等生的な目標値」や「経験」に則り、着々と迷うことなく自国の成長に向け、突き進んでいる。

さて、では日本はどうなるんだろう?
この時期にして、政治界は「自民」と「民主」のトップがそれぞれの信用問題に直面し、ますます世界からの評価を落としつつあるニュースが続く。
株価低迷は海外からの評判であると思われるし、景気悪化は自国の成り行きに自身をもてない証拠であろう。
まるで、自分たちで自分たちの評判を落としているようなものである。情けないし恥ずかしい。

日本中心的な思想は、海外には受け入れられない。
かといって海外依存で築く成長では、「金」という価値の元、常に自己不在で揺れるばかり。
「個」が評価されない「集団心理」には限界があり、「個」が優先される「集団心理」はそうそう成り立たない。

日本の文化・風習・思想に義理人情 という言葉を思い出す。
「人の行なうべき道」としての「義」を理(利ではない)を通じて貫きつつ、人の情緒的な面を織り交ぜる。
対極な二つの作用をひとつに丸くおさめることをよしとする。
わかりやすい例で言えば夫婦円満とかもそれに当たるんでしょうか。
でも、日本は、なぜか強いものに惹かれ、それを真似しつつも勝とうとする傾向があるように思います。
アメリカを真似しつつも、世界一を目指す・・・みたいな。
今度は、中国を真似しつつも、世界一を目指す・・・ようになるのだろうか。
そういう邪な姿勢が、政治の腐敗とかにも繋がるし、しばしば行き過ぎの傾向を生むと思うのだけど。
他国に学びつつ世界と繋がる、という姿勢が、まっとうだと私は思います。

日本は小さな島国なのだし、海に守られ自然に長けた地の利を生かして、競争過多に陥らず、存在するものをまず認め合った上で円満に自国を保ちつつ、世界と交流するくらいの気持(でもそこには相手への尊敬の念とか感謝とかは必要)を持てればいいのになーとか思います。
それが案外、一番、難しかったりするのかもしれないですけど。

日の丸日本。
情熱だけで突き進むと偏るから、冷静さ(理性)も兼ね備えた国旗とかに変わらないかなぁ。
だったら韓国 へ行け、とか言われるかしら・・・。(韓流ブームには乗った記憶ないけど)
日本国旗 の赤丸は、「太陽」を意味すると言われていますし、明るいものが好きなのですよね。
しかし、太陽を「赤」で表現するのは世界的に稀で、赤に至ったのは中国由来であるらしい。
古墳まで遡れば、太陽は「金」、月は「銀」で表現されていたようですし、根本的(大方忘れさられている本能)には、世界共通の認識の下、ありのままを表現する素地があるのです。自然に。
それが、小さな島国ゆえんで、大国の壮大さを目の当たりにするにつけ、コンプレックスに留めず、習い、取り入れ、時には取り入れたものに意味を持たすために理由付けし、太陽を拝みながら突き進んでいる。
自国を国旗という観点から理解し、表現してみると、私にはそういう国になります。

さて、世界各国から「主体性」を評価される時代です。
政から民へ。そんなキャッチフレーズとともに、曖昧に「政治を小さく、民の力を大きく」推し進める政府の方向転換も、時代の流れです。
国旗という観点から主体性を持ちつつ、世界各国と存続するには、まずは自国ありのままを受け入れる、からスタートでしょうか。
いろいろと取り入れていくうちに、主体がわかんなくなっちゃってる。ならば、原点に戻る。自然に還る。
そこまでいかなくても・・・という場合は、とりあえず、明るい兆しを見つける。そして、突き進む。
そういう個の集合体が、日本。
ならば、個が動き出さないことには、全体像もはっきりしないですよね。

赤い○になるように国民全体で突き進み、足りないところは政治が支える関係性が成り立つ国って、世界の例では非常に稀で、でもきっと尊敬されること(他国には真似できない)。
日本の指標について、あれこれと思いは巡り、考える次第です。


新聞一面の見出し3つだけで、これだけあれこれ考えてしまうのですから、新聞が週末にたまるわけです。