競売会社クリスティーズがパリで開いたオークションに、中国・清朝時代に離宮「円明園」から略奪されたウサギとネズミのブロンズ像が競売にかけられ、落札された。(記事
)
落札したのは、「中華海外流出文物救援基金」の基金顧問の方。
その基金名どおり、戦争・略奪が当り前の時代に国外へ流出してしまった国宝を取り戻すための落札。
でも、お金を払わないと主張しているらしい。(記事)
確かに、落札した側の主張はわかる。
できるものなら、競売にかけた側が「歴史を紐解けば、元にあった場所に戻すのが筋である。無償でお返しします。」
とでも言って、紳士的に返還してくれると美談でおさまる・・・などと私なんかは思ってしまう。
人もモノを美しい、素晴らしい、欲しい、という理由だけで、力づくで奪うことは基本的なマナーに反する行為。
子供の頃、それくらいの常識は親から躾けられている、と思う。(昔は違ったんですよね?)
が、それまで像を共同所有していたピエール・ベルジェ氏は「お金払わないんだったら、わたさないよ。」と述べている。
ピエールさんからしてみたら、自分の所有している資金で得ためぐりめぐってきたコレクションなのに、歴史の筋だからといって無償で返すなんてバカバカしい・・・くらいの気持なのではなかろうか。
時、既に第三者。時効ですから。
「わかったよ、返すよ。」
かるーく一言で返しちゃったら、それこそ、これから国をあげての「返せ返せ合戦」が始まってしまいかねない。
それが元で戦争にだってなりかねない。
正論が簡単には通らない、困ったものである。
そこで必要なのは、人々の感情に染み渡るほどのドラマである。
簡単に返してしまったらただの「情報」「データ」。
数値化できてしまうほど無味乾燥なしろものでも、心に訴えかけるだけのドラマがあれば、人はそれに酔い、感銘し、涙し、笑い、喜び、感動する。
感動するだけの価値があれば、感動する人の数が今回の落札額を抑えるだけのパワーを持ちえれば、無償返還だって「あり」となる。
その後には、「僕も返そう、私も返そう」と、全てのあらゆるものが、元のさやにおさまり、平和に問題は一件落着するかもしれない。
「これが奪われていたけれど、無事に戻ってきた我ら国の宝だよ」なんてことが、国民に対して「国の歴史と誇り」
を取り戻すきっかけにできるかもしれない。
無償で返してくれるという好意に、始めて真の意味での国と国(人)との友好・信頼関係が生まれるかもしれない。
お金で価値を推し量る経済社会の終焉である。
・・・なーんて、これは、個人的楽観ですけれど。
ピエールさん、競売にかけるくらいなので、既にそのものに対しての愛着とか興味とかは失われているようにも思えます。代償としての貨幣の価値の方が、彼にとっては勝っているのですよね。
西洋の歴史は略奪の連続。
誰が富を持ちえるか、領土を拡大できるか、美を収集できるか。
(それにより、美しい美女を手中に収められるか・・・というのは違うか)
イギリスから始まったオークションというシステムは、要するにお金持ちが欲しいものを欲しいままにし、いらなくなったら一番欲しい人にあげる~ってことですよね。
そこには愛とか義(天地人ですな)なんてものは、なんだか感じにくい。
東洋の文化が西洋とどこまで融合できるのか、・・・話の顛末がどこに至るのか、非常に興味深いです。
たぶん、「無償」では終わらないとは思いますが、それが、法律・裁判で決着・・・とかで決まっちゃうだけではつまらんです。
そう思いませんか?
(そうなったら、私の心はまたひとつドライな砂漠化が始まると思う)
落札したのは、「中華海外流出文物救援基金」の基金顧問の方。
その基金名どおり、戦争・略奪が当り前の時代に国外へ流出してしまった国宝を取り戻すための落札。
でも、お金を払わないと主張しているらしい。(記事)
確かに、落札した側の主張はわかる。
できるものなら、競売にかけた側が「歴史を紐解けば、元にあった場所に戻すのが筋である。無償でお返しします。」
とでも言って、紳士的に返還してくれると美談でおさまる・・・などと私なんかは思ってしまう。
人もモノを美しい、素晴らしい、欲しい、という理由だけで、力づくで奪うことは基本的なマナーに反する行為。
子供の頃、それくらいの常識は親から躾けられている、と思う。(昔は違ったんですよね?)
が、それまで像を共同所有していたピエール・ベルジェ氏は「お金払わないんだったら、わたさないよ。」と述べている。
ピエールさんからしてみたら、自分の所有している資金で得ためぐりめぐってきたコレクションなのに、歴史の筋だからといって無償で返すなんてバカバカしい・・・くらいの気持なのではなかろうか。
時、既に第三者。時効ですから。
「わかったよ、返すよ。」
かるーく一言で返しちゃったら、それこそ、これから国をあげての「返せ返せ合戦」が始まってしまいかねない。
それが元で戦争にだってなりかねない。
正論が簡単には通らない、困ったものである。
そこで必要なのは、人々の感情に染み渡るほどのドラマである。
簡単に返してしまったらただの「情報」「データ」。
数値化できてしまうほど無味乾燥なしろものでも、心に訴えかけるだけのドラマがあれば、人はそれに酔い、感銘し、涙し、笑い、喜び、感動する。
感動するだけの価値があれば、感動する人の数が今回の落札額を抑えるだけのパワーを持ちえれば、無償返還だって「あり」となる。
その後には、「僕も返そう、私も返そう」と、全てのあらゆるものが、元のさやにおさまり、平和に問題は一件落着するかもしれない。
「これが奪われていたけれど、無事に戻ってきた我ら国の宝だよ」なんてことが、国民に対して「国の歴史と誇り」
を取り戻すきっかけにできるかもしれない。
無償で返してくれるという好意に、始めて真の意味での国と国(人)との友好・信頼関係が生まれるかもしれない。
お金で価値を推し量る経済社会の終焉である。
・・・なーんて、これは、個人的楽観ですけれど。
ピエールさん、競売にかけるくらいなので、既にそのものに対しての愛着とか興味とかは失われているようにも思えます。代償としての貨幣の価値の方が、彼にとっては勝っているのですよね。
西洋の歴史は略奪の連続。
誰が富を持ちえるか、領土を拡大できるか、美を収集できるか。
(それにより、美しい美女を手中に収められるか・・・というのは違うか)
イギリスから始まったオークションというシステムは、要するにお金持ちが欲しいものを欲しいままにし、いらなくなったら一番欲しい人にあげる~ってことですよね。
そこには愛とか義(天地人ですな)なんてものは、なんだか感じにくい。
東洋の文化が西洋とどこまで融合できるのか、・・・話の顛末がどこに至るのか、非常に興味深いです。
たぶん、「無償」では終わらないとは思いますが、それが、法律・裁判で決着・・・とかで決まっちゃうだけではつまらんです。
そう思いませんか?
(そうなったら、私の心はまたひとつドライな砂漠化が始まると思う)