いつも気になるのが「言葉づかい」について。

時代の流れとともに、急速に言葉が乱れたと感じるのは
私だけだろうか?
身分に上下などない、対等であろうとする流れから、
言葉づかいがいいかげんになったのだと、私は分析しています。

グローバル化の流れとは、上下左右関係なく、
みなが対等になる、平等になる、という方向性で
世の中が動くこと。
日本は集団心理が強い国民性なので、
敬語など、うっかりすると「お高く留まっている」と解釈される。
でも、言葉の乱れは態度や行動にも必ず影響するものと
私は思います。

感謝の気持ちも、言葉から。
言葉をいいかげんにすると、気持ちが湧きにくくなります。
もちろん、カタチだけの気持ちであれば、口にできる。
でも。
本当の意味で感謝することって、何かをいいかげんに
扱っているうちは持ちえないように思う。

イギリスとアメリカの英語は全然違う、というのは周知の事実で、
アメリカ英語はかなりくだけていると聞きます。
階級社会のイギリスへの反発心から言葉の変化は現れたのではないかな?
その代わり、ビジネス英語、というTPOをわきまえた言い回しなどは
時代と共に確立されてきている。
アメリカとて事情によって、必要な場面では言い方を心得る。
・・・でも、それは、あくまでも利益のため?
最近までの流れではそう感じざるをえないですが。

テレビを見れば、ほとんど全ての人が友達感覚で、バラエティー化
する番組が多くなった。
おもしろくなくなった・・・という人が増えている。
自己主張や自我を平気で暴露する、それが笑いになっている。
力が強いものが勝ち。
日本はアメリカナイズされすぎていないだろうか?
そして、そのことに無意識すぎではないのかな?

フランスなどは、自国の言葉に誇りを持ち、文化を大切にすると聞く。
その昔は、旅行にいっても英語では対応してくれない、という苦情を
よく見聞きした。
今は、もうそんなこともなくなりつつあるのだろうけれど、
お互いを尊重し、理解しあい、認め合うという関係性のためには
もう一度、言葉に対して意識を向けることが大事ではないかな?
と思う次第です。

こういうことを言い始めると、特に若い人からは
「お堅い」「古い」「お高くとまってる」と言われてしまうかな。
それに、そんなことを思うわりには、私だってそれほど
日本語に長けているわけでもないし。
それでも、言葉づかいは大事だと思います。

でも、言葉づかいはある意味、身分を分ける役割もあり、
年功序列とか時代の流れの中で変えざるをえない状況下で
適当になってきているのもわかります。
正しい理解と姿勢や態度で、意識的に変えることは必要。

その上で、言葉を愉しむ。
それが文化になり、国民性として通じるようになれば、


いいなぁ、と私は思います。