「天職」という言葉が、一時、氣になった。
自分の居場所が見つからないと、そんな言葉に心が揺れるもの。
でも、それが商売優先となると、本末転倒な氣もする。
「天職を最速で手にする方法」というセミナーを受けてみて(受けている自分ってウケますね。いや、マジメに。)思ったのですが、これはきっと、「天職」を「最速」で手にするのではなく、「天職」を手にすると心に決めて就いた職で努力し続けたことが「天職」になりえる、ということではないかというのが、私の結論。

仕事に優劣はない。
---それはそれでわかってる。
じゃぁ、なんでもいいじゃん。
---そう言われると、ちょっと違うと思う。
じゃぁ、何がしたいの?
---心が嬉しく思うこと。

「好きなこと」を続けること。
そう思って、ずっと思考錯誤していた。
でも悲しいかな、それがどんなことなのか、私にはよくわからないみたいだ。
周りから受取る言葉や、電波を通して受ける情報、お金を払って得たモノ・コト・情報はどれもこれも「ごもっとも」に思えるけれど、なかなか身体が思うように反応してくれないことも多い。むしろ、心が反発することもあるくらい。

たぶん、好きなことって、感情を通してでしかわかりえないのだと思う。
頭で考えるだけじゃ、ダメ。
気持ちが先走ってもダメ。
・・・でも、頭で考えてしまうんですよ。
自分の中に「触れたくない領域」というものがあって、好きなことの対極にあるそれらが私を不安にしているのだと思う。
社会には、心がワクワクすることと隣り合わせに、心ががっかりすることも溢れている。
だから、ワクワクすることよりも、平常心を保つことを心がけたい。


イチロー選手は、それをよくわかっている人だと思う。

そんなイチロー選手が、当たり前のことをサラリと口にし、思い出させてくれること。
「人に喜んでもらうこと」

野球が好きで、それを続けてきたイチロー選手は、今、自分の立ち位置を十分に理解して、相手がどうすれば喜んでくれるだろう?と、本当に真面目に考えている人だと思います。

私は何が好きなんだろうか?
今、言えるのは、「私が考えだす好きなこと」よりも「好きになる人が私に与えてくれた感動や喜び」の方が、遥かに大きくて満足できることだということ。

「私に、今できること」は、好きになってずっと続いている人やコトやモノに感謝して、生きること。
好きなことには新しいも古いもないし、優劣もないし、無理や強制も全然ない。
ただ、自由に、好きであることが続いている。それだけだ。