昨日の
世界遺産 は「ジェンネの旧市街」でした。

泥で作られた大モスク、交易の中継地点として発展した街の、美しい映像美を楽しみました。

その土地にある自然の素材を活かし、修繕を繰り返しながら長く保たれている大モスク。
素材が泥の建造物、3世代(2~300年位?)は保てるそうです。すごいですね。
お金をかけ、素材を変え、新しいものを造り続ける先進国とは違う、自然と調和した風景。
それは、テレビ用にアレンジされた、美しい風景なのでしょうか。

世界遺産に登録されたこの街は、その景観や文化の保護のために、泥の建造物を残していくことがその街の課題でもあります。
でも、住居はコンクリートを混ぜたものも増えてきているらしい。

自然を扱うからには、手間暇がかかります。
泥と藁を水で混ぜ合わせる作業、それを土で作った大きな器に盛って、建造物まで歩いて運び(器は頭にのせる)、太陽の日差しによって乾燥した建造物の土肌に塗りこんでいく。
全ての作業はとてもシンプル。でも、手作業で、時間も、手間もかかる。
オートメーション化した先進国とはかけ離れた時間が、そこには流れているに違いない。
建造物をそのままの景観に残し、守るために、作業に費やす時間を過ごす人々は、先進国の生活を見たら、きっとびっくりするだろう。自分たちが時間をかけて建造物を守っている間にも、世界は移り変わっている。

そもそも、「世界遺産」という考え方は、先進国の見方以外に他ならないのではないかしら。
その土地に住む者たちにとっては、それが普通の日常生活なだけなのに、世の中を変え、資源を減らし、美しいそれらの存在を「守らなければならない」立場にしているのは、「美しい映像美」に隠されたささやかな真実だと、私は思う。

マリ共和国の存在は、一般的にあまり知られていないようだ。
名前は知ってる・・・くらい?そこはどういうところで、どんな美しいものが存在しているのか、興味を持つ人がまだまだ少ないようです。
最近は、街が世界遺産化され、パリ・ダカールラリーの通過地になることもあるらしく、知名度は上がってきたようですが、インフラ整備やホテルなど、観光地に欠かせない施設は整っていないらしい。

でも、世界遺産を勉強してみて、改めて感じたことは、「観光地化したがために、その美しい存在が危機遺産(遺産としての価値を損ないかけていて、全世界でその存在を守るために活動しなければならない状態)化する」ことが往々にしてある、ということ。
そこに観光施設を充実させたら、さらなる貧困を生み、環境汚染や自然破壊などに繋がることにはならないだろうか。

お金が集まらないが故に貧困化していくのは、今の社会の当たり前の真実のようですが、そういう意識ってどこかで転換することはないのかな?

そこに生活する人々の日常生活を、外からきた人間の手によって勝手に変えてしまうことは、よいことだとは思わない。
まずは、その地に住む人たちを尊重し、その地に慣れ親しみ、その地を理解し、愛するようになる。そういう関係性がなければ、力関係の交流になってしまって、意味が内容がないように思う。
スピードが早く進んでいる先進国が、そういう意識を持ち、相手をリードすれば、相手だって喜んでくれると思う。
勝手に変えられるのではなく、納得して変わっていくことがムリ・ムダ・ムラをなくすことに繋がる。
地球にもやさしい(と思う)。

お金に支配される生活って、お金がある人にとっては豊かもしれないけれど、ない人にとっては脅威です。
鬱になったり、犯罪に繋がったり、その挙句に命を落としたり・・・そんな風にお金の影響って、毎日のニュースに溢れてますよね。
逆に言えば、お金の遣いかたによって、そんな世の中も変わるかもしれない。

マリは、かつてオリエンタル交易の中継地点として栄えましたが、ヨーロッパの勢力争いが活発化したあたりで、交流が途絶えた・・・といったコメントで、番組は締めくくられました。