ふるさと納税?
なる構想が持ち上がっているという。
国会議員さんたちは、都会に人が密集し過疎化している状況で、どう、地方にお金を回すか?という課題に取り組まれているようだ。
このコラムを書いている森永さんが懸念している、キャンペーンのための商戦で、結局、無意味(だけならまだしも、公害となりうる)に終ることを避けたい、という発想は大切だと思う。
森永さんは、田舎暮らしをしたいと思っている人たちが、安心して生活できるための資金となるような提案をしているが、同じように思っている人たちは数多いのではないでしょうか?
私も、似たようなことを考えていました。
もし、自分が田舎暮らしを選択するとしたら?間違いなく、そこの地の利を生かした食べ物作りに着手すると思う。
まずは自給自足である。
今、日本は食べ物の8割を輸入品に頼っているけれど、それだと、間違いなく経済的な不安要素を持ち合わせることになる。
これだけ経済が主流の関係となってしまうと、かけひきに強くなければどこかで余計な荷を背負うことになりそう。
それに品質だって、どこまでを信用していいのか、わかったものではない。相手を信用しないわけではないけれど、(例えば、中国の品質問題だって、元は大量生産で価格を抑えるために企業進出してきた海外の影響も大いにあると私は思う。)農薬など人害の要素は常に懸念材料になりえる。
そういう不安要素全般を、人のせいにするわけでもなく解消するには、自給自足が一番なんである。
それに、自分で育てた食べ物を口にするのって、楽しいと思う。
今は、小さなプランターでミニトマトやパプリカ、インゲン、枝豆を育てているけれど、毎日の成長ぶりに接していると、いろいろ気づくこともある。なにより、市販のものよりしっかりとした歯ごたえや味を感じられて、嬉しい。
森永さんも挙げているけれど、問題は、地方での生活を安心して支えてくれる「財源」が乏しいところ。
収入しかり、土地だって、地元の人以外は借りなければならないし、育てるためにかかる費用だって必要。
最近は年金すらも「だいじょうぶ?」といいたくなる末期状態。なにはともあれ、生きるために最低限必要なお金は確保したい。
でも、都会の利便性に富んだ生活に慣れてしまっていると、そういうことにお金が回ることに不満を持つ人もいるかもしれない。
広告費などに食われることなく、理解を促し、税金をつかう仕組みづくりは必要。
話は変わりますが、最近話題のコムスン、NOBAなど企業の不祥事の大元は「利益中心」が行き過ぎたものと思われる。
競争社会の成れの果てである。
品質や効率、スピードを上げるための競争は必要であるけれど、そろそろ、そういう時期は峠を越したのではないかしら?
社会には精神的に無理を感じて仕事につけない状態の人が多いと聞きます。
何に力を注いでいいのかわからない、とさまようニートたちも多い。
日雇い扱いで、社会保険の対象にもなれない若者も増えているというニュースも、目にします。
そういう人たちの存在が、「方向性を考え直す」きっかけを与えてくれているとも思うのですが。
エコに通じる環境問題。これは21世紀の課題とも言われています。
いきなり世の中ががらりと変わるのは、無理かなぁ?と思うけれど、少しずつ着実に、継続可能な世の中を目指すのは必要事項。
私は都会も好きだし、地方の自然豊な環境も好きなので、どちらかに偏ることなく暮らしていたいと思っています。
まずは、関わることから始まると思うし。
あんまり極端に環境が変わると、心身への影響もあるので、中途半端かもしれないけど、今は両方ほどほどが合ってます。
昨日は、富士山は爆発しないけれど、都会の温泉施設が大爆発。
なにか、無理があるのかもしれないですよね。
国会議員さんたちは、都会に人が密集し過疎化している状況で、どう、地方にお金を回すか?という課題に取り組まれているようだ。
このコラムを書いている森永さんが懸念している、キャンペーンのための商戦で、結局、無意味(だけならまだしも、公害となりうる)に終ることを避けたい、という発想は大切だと思う。
森永さんは、田舎暮らしをしたいと思っている人たちが、安心して生活できるための資金となるような提案をしているが、同じように思っている人たちは数多いのではないでしょうか?
私も、似たようなことを考えていました。
もし、自分が田舎暮らしを選択するとしたら?間違いなく、そこの地の利を生かした食べ物作りに着手すると思う。
まずは自給自足である。
今、日本は食べ物の8割を輸入品に頼っているけれど、それだと、間違いなく経済的な不安要素を持ち合わせることになる。
これだけ経済が主流の関係となってしまうと、かけひきに強くなければどこかで余計な荷を背負うことになりそう。
それに品質だって、どこまでを信用していいのか、わかったものではない。相手を信用しないわけではないけれど、(例えば、中国の品質問題だって、元は大量生産で価格を抑えるために企業進出してきた海外の影響も大いにあると私は思う。)農薬など人害の要素は常に懸念材料になりえる。
そういう不安要素全般を、人のせいにするわけでもなく解消するには、自給自足が一番なんである。
それに、自分で育てた食べ物を口にするのって、楽しいと思う。
今は、小さなプランターでミニトマトやパプリカ、インゲン、枝豆を育てているけれど、毎日の成長ぶりに接していると、いろいろ気づくこともある。なにより、市販のものよりしっかりとした歯ごたえや味を感じられて、嬉しい。
森永さんも挙げているけれど、問題は、地方での生活を安心して支えてくれる「財源」が乏しいところ。
収入しかり、土地だって、地元の人以外は借りなければならないし、育てるためにかかる費用だって必要。
最近は年金すらも「だいじょうぶ?」といいたくなる末期状態。なにはともあれ、生きるために最低限必要なお金は確保したい。
でも、都会の利便性に富んだ生活に慣れてしまっていると、そういうことにお金が回ることに不満を持つ人もいるかもしれない。
広告費などに食われることなく、理解を促し、税金をつかう仕組みづくりは必要。
話は変わりますが、最近話題のコムスン、NOBAなど企業の不祥事の大元は「利益中心」が行き過ぎたものと思われる。
競争社会の成れの果てである。
品質や効率、スピードを上げるための競争は必要であるけれど、そろそろ、そういう時期は峠を越したのではないかしら?
社会には精神的に無理を感じて仕事につけない状態の人が多いと聞きます。
何に力を注いでいいのかわからない、とさまようニートたちも多い。
日雇い扱いで、社会保険の対象にもなれない若者も増えているというニュースも、目にします。
そういう人たちの存在が、「方向性を考え直す」きっかけを与えてくれているとも思うのですが。
エコに通じる環境問題。これは21世紀の課題とも言われています。
いきなり世の中ががらりと変わるのは、無理かなぁ?と思うけれど、少しずつ着実に、継続可能な世の中を目指すのは必要事項。
私は都会も好きだし、地方の自然豊な環境も好きなので、どちらかに偏ることなく暮らしていたいと思っています。
まずは、関わることから始まると思うし。
あんまり極端に環境が変わると、心身への影響もあるので、中途半端かもしれないけど、今は両方ほどほどが合ってます。
昨日は、富士山は爆発しないけれど、都会の温泉施設が大爆発。
なにか、無理があるのかもしれないですよね。