よく晴れた17日(日)、場所は早稲田大学、大隈重信氏に見守られたかどうかは定かでないが、ハンカチ王子が33年ぶりの優勝を勝ち取ったちょうどその頃、世界遺産検定試験は終了した。

暗記がもっとも不得手、且つ範囲が広すぎ・・・と、半ばあきらめ気味だった自分をなだめすかしながら、この日のために教科書を開き続けた結果が実るかどうかの、いわば修羅場?ともいうべき1時間20分。
早稲田大学構内は、なんと、飲み物不可(今時、水すらも飲めない状況に追い込まれるとは思わなかった)。
のっけから係員に「水はしまって下さい。」と注意を受け、さらに、カバンは足元に置く(となりの空席に置くことも不可)、終っても途中退席は失格(もちろんトイレも×)・・・・など、厳しく細かい指示が続き、開始時間を厳密に守るために余った10分ほどを無言で過ごす。
そして、妙な空白の時間をすごした後、試験開始。

わかってはいたものの、教科書や問題集をなぞるような問題は少ない。
最初こそ、「お、わかる。」と筆は進んだものの、日本を過ぎたあたり(要するに海外の遺産問題に突入したところ)で、「えーーーっと、どっちだったかなぁ?」と四択から二択までに絞れるならまだいいほうで、「こんな遺産、あったっけ?」的問題を目にする始末。
それでも、集中力を欠かすことなく、最後まで一気に90問の設問に対して、マークシートのマスを埋めていきました。
試験終了まで40分ほど時間が余った。
さて、ここから、ある意味で勝負が始まる。
そそっかしいミスは防がなければならない。というわけで、見直しである。

集中して問題を答えた甲斐があり、記入ミスは見当たらなかった。
が、二者択一の回答で、また、「どっちだったかなぁ・・・」が始まった。
これは、けっこう、重大である。
「どっちだったかなぁ」となるあたりで、既に「身についていない」わけだから、どっちにするかはさほど重大ではないのではないか?なんて疑問やちょっかいはナンセンスである。このときの「閃き」や「勘」「自分がこうしようと決めた、いわゆる”決定力”」「決めたことへの”責任感”」などなど、あやふやな状態でも最後までキープし続ける集中力は侮れない。
常にゆらぐ自分自身を抑制し、最終的にゆらぎながらも「これが答え」と判断するのは、例えばヴァイオリンの音色を正しく奏でるのに必要な感覚でもある(ちょっとこじつけ)。

実際、後に自己採点してみたところ、「あの時答えを変えといてよかった。」と思うものも少なくない。
(もちろん、変えなきゃよかった~と思うものもある)
まぁ、つまりは五分五分である。そういう諦観も身につくようになる。
じゃぁ、やっぱり一度決めた答えは変えなきゃいいじゃん!とばかりに、余った30分~40分ほど、まったく筆を取るでもなく、時間を潰している両隣の女の子たちは、果たして「できる人」だったのかしら?それとも「悩んでもそれほど変わりないだろうからこれでいーや」な人?・・・どっちでもいいか。

そんなこんなで試験終了。

90問中、60問以上正解は「ブロンズ」、80問以上正解は「シルバー」という呼称をいただくこととなる。
(つまり、59問以下の場合は不合格)

家に帰り、自主採点してみたところ、なんと、ブロンズぎりぎりでした。
自主採点なので、勘違い正解が一問でもあったらブッブーーーッ「ハズレ」のブザーが鳴ってしまう。
正確な通知は8月に入ってから書面で届きます。
やれやれ、しばしの間は神の御言葉?を待つこととします。

話は戻り、試験会場を後にし、早稲田大学を出たところで、早速、旅行会社の人たちがパンフレットを配っていた。
すごいなー。嗅覚そのままのビジネス魂。
パンフレットを喜んでもらっている受験者はパッと見、見当たらなかったけれど、一応、参考資料のつもりでもらっておいた。
教科書に載っている内容とは違い、イメージやキャッチコピーで遺産への興味を駆り立てた表記がヅラヅラ。
それはそれで、楽しめたりもするので、息抜きに眺めることにする。
んー。そりゃ、時間と費用がまかなえるんだったら行きたいけれど、世界遺産って、観光地化したがために危機遺産化(当初、登録された事由を大はばに損ねたがために、世界遺産としての価値を没収されかねない状態)しているものも少なくない。
もちろん、マナーをもって旅に臨めば・・・というか、遺産のことを十分に理解した上で、遺産に触れるのであれば問題は複雑化せずにすむと思う。
世界遺産を学ぶということは、すなわち、過去の先人たちに学ぶということ。
何を学ぶかは、その人次第。

ちなみに、私は、あまりにも膨大で、緻密な量を目の当たりにして、智慧の大海で漂流中です。