記録として告知の日の記事をUPしようと思うと、
まだまだその時の気持ちや思いがフラッシュバックしてきてしまって
なかなか記事が進まないというか
ちょっと。。。いや、かなりどよよ~んと暗めなので、
暗い気持ちになってしまうかもしれないので、
その点はご承知の上、大丈夫だって場合はこの先の記事を読んでいただけたらと思います。




検査結果が分かる当日、しとしとと降る雨の中、
検査結果を聞くだけだったので一人でなんとも軽い気持ちで
この後に起こるまさかの展開なんて1㎜も考えることなくクリニックへ向かった。

予約時間の少し前についていたが、呼ばれる気配は全くなかった。
私よりあとの人たちがどんどん診察室へ行く中、
もしかして忘れられてるのかな?って思い始めていたときに、
看護士さんに名前を呼ばれた。

まだ検査結果が予定より遅れて到着していなくお昼くらいになりそうですとのこと。
はぁ~なんか時間かかってるって嫌だな~って
その時からなんか嫌な感じがしはじめたけれど、やはりこの時もまさか自分がこれから癌ですと告知されるなんてこれっぽちも思わずひたすら待っていました。

そしてやっと自分の名前が呼ばれて診察室に入っていくと
もう正直、その時の記憶が飛んでて、よく覚えてません・゜・(PД`q。)・゜・

覚えていることは、先生が淡々と告げたこと

『検査結果は悪性腫瘍でした。癌が見つかりました。すぐに大きな病院にいってください』
 








・・・・・・・・・・・・・・・・・。
頭の中が真っ白になりました。










いったい先生が何をいっているのか、何を言われているのか全く理解できなかった。
時間が止まるってこういうことなんだって思いました。
本当になにもかんがえられなくなった。。。。。。

身動きがとれない。

まって、まって嘘でしょ。なにかの悪い冗談だよね。
これ夢?夢なら今すぐ覚めて!!!
癌?癌?私がなんで癌なの?なんで私が癌にならなきゃいけないの?!
何か悪いことした?
辛いこともたくさんあったけど、真面目に生きてきたつもりだよ、それなのになんで?
神様ってほんとうにいるの?なんで私なの?
もう頭の中は、そんなことの繰り返しだった。。


そしてまず1番に考えたことが、
私は『死』よりも『子どもが産めるか』ってことでした。
いまの状況の私には、死ぬってことよりも
子供がうめなくなるほうのほうが、怖かったし悲しかったし受け入れられるはずがなかったから。


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いつか好きな人と自分の赤ちゃんを授かることができたらってずっと考えていた。
10代のころは正直子どもは苦手というか、すぐ泣いちゃうし、なんかなぁ~って思ったりしてたけど、
20代になってからは保育士の友達も多く、子供の話を聞くことも増えてかわいいな~って、母性本能?が思うようになり、
友達の妊娠や出産、育児をみていたら、もう本当に赤ちゃんや子どもが可愛くて仕方なかった。
友達の子どもでさえ、もうこ~んなに可愛くてたまらないんだもん!
自分の子どもだったら、もうどんなに可愛いんだろう♡って思うと本当にその日がいつかきてくれるのが楽しみで仕方なかった。

一度結婚したときも、そろそろ子供がほしいな~って思っていたのですが、
色々あってお別れすることなってしまって、
そのときはもうお別れしたことが本当につらくてたまらなかった。
もう来る日も来る日も泣くことしかできなかった。

そんな私をみていた母親が言った
『悲しい時こそ笑いなさい!!無理やりでも笑っていればいつかそれが本当の笑顔になるから!!』

私のことで両親までたくさん傷つけてしまった過去。

自分のことならまだ自分の責任だって悔めるけど
両親にしたら娘がこんなことになってしまっていたたまれなかったと思う。
だから
泣いてばかりではだめだって思って。
ここから這い上がっていかなくちゃ!!って。 時間は必要だったけど
どうにか気持ちを振り絞って自分を立て直した。

そしてそれからは余計、たくさん私のせいで傷つけてしまった分
親にはいつか孫の顔を見せてあげることが親孝行のひとつだってずっとその時から考えていました。
だからたくさん泣いたしたくさん傷ついたけれど、
ここで終わるんじゃなくて
絶対また幸せになった姿を両親に見せなくちゃ!見せたい!見せるんだ!って。

そして
いつか世界で1番大事な1番大好きな人と一緒になって、
幸せに過ごして、いつかママになれたらって。
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だから、真っ先に頭に思い浮かんだことは、死ぬか生きるかよりも、ママになれるかなれないかってことだった。
今にも泣き崩れそうになりながら、
振り絞って言葉にできたことが
『先生、私、子供がほしいんです。子どもを将来産みたいんです。』
って自分のおなかにギュっと手を当てながら声を振り絞って先生に聞きました。

先生は少しだけ考えた後、淡々と
『子宮摘出になると思います。結構進行しているので、難しいと思います。』
と一言告げました。

なんだろう、このときは泣くことすら忘れていたような気がします。

診察室から出て母親が一緒じゃなくてよかったと思いました。
母親にどうだった?なんて聞かれてしまったら
その場で泣き崩れていたと思うから。

今まで見えていた景色が一瞬にして姿を変えました。
クリニックには妊婦さんもたくさんいたから、すごく幸せそうな姿をみていると
ついさっきまで微笑ましくみていた自分が
もう自分はそこにはいけないんだって思ったら、その光景がいまの自分には残酷すぎて、
胸が苦しくて苦しくてたまらなくなった。
必死に涙が出てきそうになるのを我慢した。

なんで私なんだろう、なんでなんだろう、、、。
もう感情をできるだけOFFにした。
そして病院を後にしました。



告知については、癌告知ってこんなにあっさりされるものなんだってある意味ビックリした。
ドラマとかの観すぎかもしれないけれど私のイメージでは
家族とかに告知するか委ねたりするのものじゃないのかなって思っていたから。

本当にあっさりというか淡々と、いきなり本人に告知されるから心の持っていきかたがわからなかった。
でも告知って家族からだろうが先生からだろうが、言われるのは突然には変わならいのかな。
私自身がまったくそんな状況になるとは思っていなかったから、
そんな風に言われても頭の整理がまったく出来なくて、
どこか他人事に感じながらも、どうにか少しでも
冷静に自分の状況を受け止めようとしていたような気がします。

そしてこれが私の人生のまさかの幕開けになりました。

いろんなことがあって、
もう次は良いことしか起こらないって信じて支えに頑張ってきていたので
また神様はよりによってこんな試練をなぜ与えるんだろう。って
“神様はその人に乗り越えられる試練しか与えない”って友達が以前励ましてくれたけど
もう今回は神様もう限界です。って思ってしまう。
“神様は本当に大切なものは奪わない”っていうけど、本当に大切なものだったよ。



ないものばかりに目を向けていたら永遠に幸せにはなれないってわかってる。
今あるものに感謝して生きていくのが幸せになれるってわかってる。
でもまだまだ気持ちは不安定でふらふらとしてしまいます。

でも、絶対に乗り越えたいし、おばあちゃんになってもずっと笑っていたい。
おばあちゃんになった私が今の私に感謝できるように。
本当頑張ったね~、偉かったな~って振り返りたい。
だから今に感謝しながら一生懸命生きるしかないって思う!!
それでも、時々どうしようもなく心は振り子のように揺れちゃったりもする。でもそれも私だし。

ゆっくりだけど自分と向き合いながら自分のhappyを丁寧に積み重ねながら生きていけたらいいなぁ♡♡

※なんだかとっても長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m