天国と地獄1(回想編) | らいふたいむ

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日々の出来事や思うことについて書いていきたいと思います。

今日は、長女が急性脳症になってしまった経緯を当時の日記より書きたいと思います。

あの悪夢は平成22年の7月28日に突然襲ってきた。

私とママと長女(1歳4ヶ月の娘)で奈良の病院へひいおばあちゃんのお見舞いに行った。
ひいおばあちゃんは当時入院中で、状態も良くなく、いつ亡くなってしまってもおかしくない状態だったので、長女に逢いたいといつも言っていたおばあちゃんを元気づける為に逢いに行くことにした。

茨城県から奈良県への日帰りお見舞いドライブ。

おばあちゃんとの面会を済ませた時、長女は多少の平熱はあったが元気に遊んでいる。

昼ご飯を食べ終わった頃、長女の熱が若干上がってきたので早めに家に帰ることにした。

その帰り道、悲劇は起こった・・・・。

鮎沢パーキングエリアでご飯休憩、おむつ交換休憩をしながら家路を急ぎ、
夕食を食べた後、車に乗り込んだその時だった・・・・・。

20:30分頃           長女が突然痙攣を起こす。
目は上を見たまま白目、体はビクビク痙攣し、口から泡を吹いていた。
長女はママの腕から崩れおちるように意識が無くなった・・・。   

20:30分頃           救急車を呼ぶ。
PAの為、到着まで10分程かかるとのこと。
ママは必死に長女に声をかけている。 泣きながら名前を叫んでいる。
       
『○○ー、○○ー、がんばって・・・ 』
『○○ー、○○ー、がんばって・・・ 』
『早く救急車来てー・・・・』        

私は電話で必死に状況を説明しながら、長女の体を冷やせと言われればジュースで冷やし、 内容と指示を必死にママに伝えた・・・

長女の痙攣は止まらない。
次第に唇が真っ青になりチアノーゼが出てくる。
だんだん長女の息が弱くなる。
ふと目を閉じて遠くに逝ってしまいそうになる・・・・
私とママの声で持ち直す。 
     
そんな状況の中       

20:40分頃    救急車が到着
まだ、長女は痙攣をしている。
10分間という時間はとてつもなく長く感じた。
救急隊員が受け入れ可能な病院を探し連絡をしている。
     
1件目受け入れできない・・・
2件目受け入れできない ・・・
3件名にしてやっと受け入れ先の病院が見つかった。

すぐに現場から30分ほどかかる神奈川県の大学病院に搬送されることとなった。
ママが長女と一緒に救急車に乗り込んだ。

私は後から1人で病院に行く形となった。
私は高速を出てPAで教えてもらった搬送先の病院へ向かった。

『神様どうか○○を助けて下さい・・・・。』
『神様どうか○○を助けて下さい・・・。』
『○○、○○大丈夫だよ・・・』 
『○○ー、○○ー・・・』
      
私は状況を把握できないまま、車のナビだけを頼りに泣きながら病院へ向かった。
どうしたらいいか分からず涙が止まらなかった。

21:40分頃    救急車は病院に到着。
長女の痙攣は救急車の中でも止まらなかった。

私が病院に到着すると、ママが待合室で待っていた。
私を見るとママは泣き崩れた。
私は泣いてしまいそうになるのを必死でこらえ、『○○は大丈夫?』
ママの何度もの問いかけに『大丈夫』と精一杯の力を込めて答えた。

看護師さんらしき人が『今処置そをしていますので待合室でお待ち下さい。』      
         
長い時間が流れた・・・・・。
      
想像を絶する不安と恐怖、感情が二人を包む時間・・・・。

『神様どうか○○を助けて下さい。』
      
もう私達には神様に祈ることくらいしかできなかった・・