自分史の旅 tarojie

自分史の旅 tarojie

黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

ときどき日輝(66) 新聞はスポーツ欄ばかり それも楽しい

新聞はスポーツ欄ばかりになった。オリンピック、プロ野球、メジャーリーグ少し前まで相撲もあった。今日から高校野球だ。ページが増えていないのでニュース内容を削ったのだろう。記事とは言えない。もう結果の連絡簿のようなものだ。

 

スポーツは結果を伝えておけば読者は満足していると思われている。記者が密かに誰かを応援していても勝負事なのであまり騒がれることも少ない。社会面、事件を扱うより悩まなくてもよい。

 

最近、炎天下の全国高校野球が昼間試合をしないで朝、夕に試合を組むとなっていた。状況がどの程度改善されるかわからない。3日間のみと聞いている。日常ニュースも連日記載している。

 

夏の甲子園が今始まった。『栄冠は君に輝く』71歳の捻くれジジイには何が輝くだろう。テレビの前に座って深夜オリンピック、『いつ寝るねん』これも楽しい。

(2024年8月7日)

 

未来(29) 未来の眼から千里眼になれたらと思う欲望の塊

 

未来(26)で書いたように白内障の手術から1か月、順調に過ぎて今ではよく見えている。メガネの矯正もして新調した。表現で表すと色はセピア色から原色変わったみたいだ。運転もするようになった。しっかり見えている。以前も見えていたのだが自信がなかった。

 

すべて懐疑的に見ていたのだ。しっかり見えるようなったからもっと他の事が見えるようなった分ではない。その昔、熊本の三船千鶴子さんが透視能力を持っていて公開実験したことを聞いたことがある。

 

東大の先生がしたのだから間違いのない実験だったのであろう。彼女は1911年に24歳、服毒自殺で亡くなられている。非常に残念なことだ。私は千里眼を信じたことがある。中学1年の時にサイコロの目を6回連続で言い当てたことがあった。

 

第六感というものであろうが7回目に外してしまった。教室の中のグループで言い当てる遊びの中での出来事であった。頭の奥のほうでそのように思えたというのが真相でその後はそんなことが起こっていない。確率論から言えば6分の1の6乗になる確率だ。

 

他の人にそのような連続性がなかったので希少な体験であった。中身がわかる。未来が見える。そんな人、世の中に居るのかもしれない。マジシャンでも事前予測してその当人が思った数字を紙に書いて箱の中に入れてあるマジックがある。

 

やはり種があるのだろうが分からない。その種は絶対明かさない。事前予測ができるならやはり宝くじを買いに走るだろうね。人造レンズではそんな奇跡が起こりえないだろう。私は、愛はいっぱいあるのだがゴッドアイではない。♬あ~いが一番アイフル♬

 

『バーカ、君はまだ借金したいのかね』

(2024年8月4日)

記憶(47) あんなシーンはめったに見られない大号泣に感動

阿部詩選手が号泣していた。人前に憚りなく世界に向けて発信していた。それは最高の感動ものだ。金メダル何かより多くの人の記憶に残す最高の舞台ではなかったか。と私は賞賛している。人が何と言おうと感動している。

 

ロサンゼルスオリンピックでガブリエル・アンデルセン選手が意識もうろうとしてマラソンを走り切った。あの時の放送も忘れることはない。感動と記憶をずっと引きずっている。彼女がじりじりとゴールにたどり着くのを見守っていた。

 

大号泣できるなんて多くの人はそんな機会は多くはない。そんな記憶もない。若くして亡くなった弟と母親の時は心から涙目になった。これから先どんな時に泣けるだろうか。映画、ドラマの演出で感動シーンがある。いい作品であるのだがやはり作り物だ。

 

そのあたりを冷静に見ている時がある。戦争をバックに実話に近い映画がある。感動はするのだが冷静な本人がいる。映画『人間の条件』の最終シーン、梶が絶望の雪原に向かって歩いて終わる。北海道の撮影シーンと思ってしまえば泣けてこない。

 

『ひまわり』のラストシーンは感動する。あの無限に拡がるひまわりと音楽で確かに切なかった。いい映画だった。しかし映画なんだという思いがある。長く生きてきたというのに感動が少ない。もっとなかったのだろうか。

 

バスケットボール。勝て、勝てと熱くなっていた。『君はいろいろ変わるね』『耄碌したんだよ』『歳、喰ったんだよ』

(2024年8月1日)

いいかげん(13) 私は捻くれブロガーで心の中を観察している昼の訪問者

ブログを書いている他人をいつものように私は探している。その中で最も好きなのはその時々の自然、花、動物が楽しませてくれるもので『いいね』と思って押している。フォローしていなくても何度も訪問している熱いブログもある。

 

多くの写真が散りばめられて、最後にブロガーの家族と見なしているのだろうが、ページ最後にイヌ、ネコの写真が掲載されてくる。それがなぜか滑稽に思えてくる。せっかく綺麗にまとめて掲載されているのに最後に台無しだ。

 

まぁ投稿者の自己主張だとそのように思えばいいのだ。掲題と無関係にだらけた、ボケの愛イヌ、ネコが登場させている。投稿者の記録と考えれば必要だと思い登場しているのだ。訪問者から見れば無用な部分だ。

 

愛すべきイヌ、ネコは主人と切り離せないのだ。だから登場させている。投稿者は物足りなさがあって満足できていないのだ。また一方でなぜか数年前の幽霊ブログが数多くあるではないか。特にシニアではこの投稿者まだ生きているのかね。

もう最後の投稿から数年経っている。奇妙でないか。それなのになぜか500番ぐらいに来ている。誰かが訪問しているのだ。毎日楽しく書いていたようなブログだ。それは楽しそうに見せているのだ。そっと覗いて見よう。あられもない大変な姿が見えるだろう。

 

深い眠りに陥っていつもの君が彷徨っている姿だよ。暗い部屋でスタンドの電球に影が浮かんでいる姿が君だよ。妖怪タロージィだよ。午後2時ボーン、ボーン。君の出番だ。それが君の姿だよ。真昼の鳥なき里の蝙蝠だよ。少しは涼しくなったかね。

(2024年7月29日)

ときどき日輝(65) 人生の様々な上る、登る、昇るはいいことばかりではない

夏の暑い日は続く。朝早く温度計を見ても28度を超えている。そして鰻上りに温度は上昇する。土用の丑の日は、今年は24日と8月5日の2回ある。そして鰻を食べるのが日本の習わしだ。鰻は旨い。

 

養殖物も天然物も貧民にとって高根の花になりそうだ。鰻の生態は長らく分からなかった。日本鰻は遠くマリアナ海溝で卵から産まれて川に上りまたマリアナ海溝に戻って卵を産む。鮭とは反対の生態だ。長い旅をしていた有難い食べ物であった。

 

鰻上りの由来は川を勢いよく遡上するあたりから来るのだろうと思われる。天然物の鰻を見ることが少ないから死語になって行くかもしれない。養殖鰻が普通に食べていると鰻の子供シラスが高くなって今度は養殖物も高くなってきた。

 

最近研究が進んで完全養殖に成功したニュースは朗報であった。しかしまだ研究室段階だ。大量養殖には程遠いと聞いている。卵から孵化して餌を与えてもなかなか食べてくれないようだ。『鰻上り』はいい意味でも悪い意味でも使われる。

 

『株』上昇ではいい意味だ。しかし株を持っていない。わずかにNISAだけだ。我が家ではまだ養殖鰻を食べれているがそのうち食膳から無くなるかもしれない。残るは部屋温度の鰻上りだけだ。

 

鯉の滝登りがある。それはGIVE UPという意味だ。竜門の滝登りが登竜門で出世することだろう。もう君は既に閉じた歳だろう。天にも昇るとあるが『昇天』すなわちもう君は天国への遡上だ。いや、まだ行けねぇ。

(2024年7月26日)