自分史の旅 tarojie

自分史の旅 tarojie

黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れることも思い出すこともできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もあり萎びれ枯れて行く。

記憶(59)時代は戻って、戻って、回~る大昭和

  (このほとりに池がある)

記憶は常に曖昧である。それが子供の頃の記憶となるともっと朧気である。今日、そのような記憶を町内の人から蘇らせてくれた。それが我が町の栄華物語である。我が町は1956年に合併して現在の市になっている。それ以前はXX郡XX村であった。チーン

 

その頃、大阪南部は潤っていた。繊維企業が林立し多くの女工が繊維工場で働いている。女工は遠く九州、四国からも来ている。そんな時代だったのだ。現在のユニチカの前身であるニチボー貝塚は女子バレーで日本を世界をも代表として東洋の魔女となって席巻したニヤニヤ

 

多くの若い女工の集まりである。そこには当然のごとく女工哀史が生まれてくる。当時のメイン道路には映画館があり、八百屋、魚屋、肉屋、呉服屋、小間物屋、銀行、郵便局、薬屋、散髪屋、診療所、警察、行政機構もあった。酔っ払い

 (昔より人が増えているのに衰退だ)

ありとあらゆる商店があった。ある工場では300名余りの女子寮があり、いつも男が群がり男女関係の果てに悲劇が発生する。この辺りには溜池があり多くある。夏の暑い日に涼みに池の周りを散歩する。そんな時事件が起きる。避妊もせずに妊娠する女子が毎年出て来る。

 

うら若い女子の悲劇は続く、ある時に身を投げ池に浮かんでいる事が毎年のごとくあったと噂は拡がっていた。大阪の繊維産業は戦後の復興を引っ張り一大輸出産業になっていた。繊維産業の栄華は長続きせず衰退していった。ショボーン

 

大阪の海浜ベルト地帯は重化学工業へと転換していった。ある場所で水玉模様のワンピースを着た女性が手を上げ○○池に行ってくれと言う。『ヘイ』着きましたと運転手が言えば座席に乗せた女性は消えていた。後にシートはぐっしょりと濡れて残されていた。滝汗

 

よくある悲劇の怪談物語だ。その池が儂のところから歩いて5分の所にある。残念ながら儂は水玉模様の服を着た女性に会った事は無い。もう儂もジジイだから相手にされていないのだろう。それでいい。最近、休日になれば若いベトナム女性が歩いている。ポーン

  (儂のトマトは順調だ)

Em muốn về nhà nhe』家に帰りたいねぇと思っているかもしれない。

(2026年6月16日)

社会(64) 37歳中卒シングルマザー「娘が通う高校」に入学 働きながら勉強も部活も「全力の1年」

 (GPT君が作った学生街の喫茶店 大したもんだ)

ヤフーニュースが踊っていた。タイトルが眼に惹かれるのだ。37歳中卒シングルマザー「娘が通う高校」に入学 働きながら勉強も部活も「全力の1年」。すっかり魅了された。このタイトルから複雑な事情が想像されて来る。酔っ払い

 

高校生が妊娠する。どこにでもある話だ。ほとんどが女子高校生にしわ寄せがいって卒業することもなくひっそりと退学する。そんな話は当時の儂も知っている。アルバイトに明け暮れて儂はお金の亡者であった。遊び金が欲しいのだ。滝汗

 

ただ持てなかったので初心(うぶ)な高校生であった。当時はそのお金を映画代によく使った。わざわざ都心まで行って繁華街をウロツキ映画の時間を待って入館する。入れ替え制もあって途中から入れない。映画を見終えてラーメンを食べて帰るのが定番であった。ニヤニヤ

 

だから特段不良でもない。アルバイト先でも女子高校生はいた。ある私立女子高校に通う女生徒とは結構馬が合った。工業高校にはほとんど女子がいないので彼女は儂にとって眩い存在である。いろいろ話をしたのにいつ間にかバイト先を止めて途絶してしまった。

 (ノウゼンカズラに毒がある 被れるぞ)

その後彼女はどう進んだのか知らない。儂の淡い青春の透明な話だ。記事にあったのは結局シングルマザーで育てていったとのこと。それでも卒業できなかった高校を再チャレンジして娘と同時に卒業した話である。しかも同じ高校に通っての美談であった。チーン

 

逆に娘は母が同じ高校に入学することに育ててくれた母を受け入れたいと書いてあるものの内心抵抗があったのかもしれない。しかもこのニュースの取り上げ先は高校生新聞だ。シングルマザーが学び直しで入学するだけでもインパクトが普通にある。

 

しかも母であり生徒でありクラブマネジャー、PTA会長と連なる。娘が卒業生代表で母に感謝を伝える稀有な卒業式が始まった。確かにポジティブ記事として応援メッセージが多い。儂にとっては対照的なもうあの暗い高校生活は思い出したくもない。ショボーン

 

♬~♪君とよくお茶を飲み別れたよ あの時の歌は聴こえない🎶 歌詞がどこか違っている。学生街の喫茶店なんかまだあるかねはてなマーク

(2026年6月13日)

いいかげん(37)何て? 君はルサンチマンを知っているか

   (このような中に儂も嘗ていた)

25年前の今日(6月8日)、事件は起こったのだ。国立大阪教育大池田小学校では8人の小学生への殺人と15人が怪我を負う事件が起こったのだ。犯人は精神的に異常だったのだろう。小さな小学生を殺し始めたのだ。

 

それは凄惨な現場になった。赦せない気持ちにさせられた。犯人の性格を分類するとルサンチマンと言われている。これはフランス語だ。弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情である。滝汗

 

犯人は弱者に対し『憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬』を抱くのだ。私は善であり他人は悪だという論理、全く歪んでいる。儂も貧乏一生人だから同様な気持ちにさせられる。しかし、実行までに至らない。もちろんそんな事はなく自制しているのだ。

 (そういろいろな道を歩いたのだ)

この男は何をしてもつまらない。会社に入ってもすぐに退職する。離婚歴も三渡ばかりある。『他人の幸せが許せない。他人の利益を不快に感じる』などの理由で破壊的な言動を行い、他人と敵対することになる。重くなると誤った被害者意思が芽生える。ムキー

 

こうなるともう妄想に近い。インターネットの誹謗中傷、逆切れ、いじめも範疇である。何となく儂もその部類に思えてきた。この赦せない犯人は宅間守だ。事件は死刑で終えすぐに執行された。世の中にはそのような部類の人間は多いのだろうと思われる。

 

儂なんかも明るい老後を考えていたのに孤独な老後だ。15の春で人生が振り分けられたように感じたものだ。その後の暗い青春もあった。人生はいい事ばかりではない。この事件ではいい学校に入り、いい大学を出て、いい会社に就職するであろう小さな子供も憎かった。ムキー

 

それでも多くの人が上手く世渡りできたかね。儂の場合も船出は泥船だったので人生を再建するのに時間がかった。それはそれで面白いとも感じていたのだ。人はいろいろと分類する。ルサンチマン、憶え難い単語だ。エセリッチマンと憶えたほうが分かりやすい。

 (花ではない 向こうに見えるのは君の家かね)

『きみ~い。ルサンチマンの意味、理解できたかね』そう今日はご冥福を祈る合掌だ。もう25年だ。

(2026年6月10日)

タロージィのひとりごと(117)本日休業、何もしたくない

  (梅雨だねぇ)

朝から雨が降っている。本日は日曜日、このころは町内会の溝掃除がある。鎌と参加権を持って伺うのだ。もう誰もが雨で気を失せている。儂もそうだ。顔を出すだけの義務感だけが残っている。それでもいい方だ。まったく顔も出さない輩もいる。チーン

 

さらに町会に入会していない輩がいる。ゴミだけは持ってくる。確かにゴミ収集は市がやっている。税金そのものだ。しかしルールは守らない。市の有料袋に入れない。分別しない。という事はもうその行為は不法投棄と同じ行動だ。ショボーン

 

誰も取り締まらないものだから近隣の山中はゴミだらけ。いずれ税金で処理することになる。世の中ルールを守らない人が増えている。そうこうしていつものようにブログを訪問するとアクセス数が極めて少ない。昨夜は100以上もあって喜こんでいると半分以下だ。ムキー

 

これもルール変更したらしい。Botで訪問する人がいてそれを排除したという事だ。儂の訪問もBot数に入っているかもしれない。何せ訪問して面白くなくても『いいね』を押している。Botって何だと調べたらRobotから作られた造語という事が分かった。ウインク

 

何だそういう事か。連日70ぐらい押すともうロボットかも知れない。今日は書くことも失せた。儂の花を楽しんでくれ。滝汗

 (百合は綺麗だろう) (ランタナいくら刈り取ってもすぐ伸びる)

 (やはり雨には紫陽花だ)

 (南天もよく伸びる)

(2026年6月7日)

タロージィのひとりごと(116)ミステリーを追う似非作家タロージィの浅はか

 (その日は雨が降っていた)

容疑者Aが思わぬ形で現れた。台風が去った後、遺体が川に浮かんでいたのだ。タロージィはまたフィックションを組み立てている。Aは地元中学に通っていたがいつの間にか不登校であった。背も低く地元では虐められたひ弱な存在だった。また目立つこともなかった。真顔

 

暫く父親の金属回収業を手伝っていたものの零細な業務で暮らしは楽ではなかった。父親が無くなると家族は離散した。Aも住み込み業務で新聞配達員であった。アルバイトのようなものだった。学業もそれほどできたわけではなく級友も少なかった。ニヤニヤ

 (しばらくすると若い男が迎えに来た)

彼の存在そのものが希薄だった。身体が小さかったので体力的な仕事には不向きだった。またバイクの免許もなかったので新聞店の近隣に多くの配達をしていた。配達は朝が早く夕刊も配達件数が少なく多くの人に顔を晒すわけでもなかった。ショボーン

 

親族とも絶縁状態で会うこともなかった。新聞店の親父も陰気で青白いこの男をあまり好きではなかった。配達員なんていつでも募集しているものの応募もしてこないのでその点では重宝した。彼は真面目そのものだった。

 

ある日懐かしく日帰りで故郷に戻った。そこにはかつて住んでいた家がまだ佇んでいた。隣には親娘が住んでいた。かつての隣人に簡単な挨拶をするとどうしているのかと問われ、大阪に住んでいると返答した。以前おばあちゃんの入院費を貸していたので返済を催促された。滝汗

 

彼はそんな事は寝耳に水であった。その額が余りにも高額だった。ここに戻ってきたことが悔やまれた。振込先を聞いて明日から配達もあるので約束して帰った。善意で貸してくれたがあまりにも高額だった。彼の預金はほとんど返済に底をついた。ゲロー

(もう婆さんに入院させた方が…)

それは20年以上もかけて貯めたお金だった。概して遊興費に使ったわけでもなくコツコツと貯めた金額だった。一瞬にしてなくなったのだ。本来返済する義務もなかったのだ。たまたま懐かしい故郷に戻って催促されたのだ。ゲッソリ

 

暫くして新聞店も閉業を言われた。長く住み込んだここも去らなければならない。この前に送金したことが悔やまれた。持ち金も多くない。彼の少ない知人から返済義務は無いと教えられて気づいた。彼ら親娘に取っては善意で貸した金であった。チーン

 

その日故郷に戻り送金した金を返してくれといったが断られ隣人の親娘も貸したものは返すのは当たり前だろうと言われて逆上した。気付くと2人は血まみれで倒れていた。あまりにも侘しい孤独な人生だった。彼は希望もなく逃げる気も失せていた滝汗

 (それで婆さんはどこに行ったのか)

タロージィはコーヒーを飲みながらフィックションの内容に満足気だった。『タロージィ君、(最近の事件に)これ似すぎないか』『君がなぁ、短編で書けっていうから儂の創作限界脳』『探偵業もできないので推理作家に…』はてなマークはてなマークはてなマーク

(2026年6月4日)