人生もうじき50年。

人間、大なり小なり
九死に一生を得たことって
あると思いますが、
おれも2回くらい

人生終わったー死ぬな、こりゃ

って思った時があった。

最初は小学生の時の
海水浴。
しかも親と一緒に地元の
海水浴場でw
当時、毎年のように
数家族が集まり
賑やかにバーベキューやら
やっていたのだが、
一人でちょっと深いとこまで
行った。
ちなみにおいら、
浮き輪がなければ
すぐ沈むw
あの時はゴムボートかなにかを
借りて深いとこへ。
親が見えてない場所さ。
なにかのはずみでバランスを
崩しボートから落ちた!

わっ溺れる…

数秒諦めた。

が、手を伸ばしたら
ボートがそこにあったw

無事に帰還。

何事も無かったかのように
その後を過ごす。


2回目は、
2回目の結婚生活時。

娘も産まれて、
家族旅行で札幌から函館へ。
途中で運転を
嫁さんに変わってもらい
おれは後部席へ。

家族旅行が楽しい
人気のミニバン。

後ろで新聞読んでて、
ふと前をみると
嫁さんがCD入れ替えで
態勢を崩し、
目の前にガードレール…

次の瞬間、
ガードレール突っ切って
崖の下に落下。
電柱に激突…

チャイルドシートの娘と
運転席の嫁は軽い怪我。
崖の上を見ると、
人が覗いてる。
娘を託し、
嫁は助けてもらいながら
道路に帰還。

おれは、動けない。
その後の診察で両腕骨折。
しばらくして
救急隊が来て下さったが
その間、電柱に激突したこともあり
このまま数分後には爆破するな…

と、覚悟した。
このとき思ったのは、

娘が無事で良かった!

まもなく到着した 
救急隊のタンカ?に載せられ、
それから当時
テレビドラマでもやってた
ドクターヘリに乗り、
娘達を置いて札幌の病院へ。

倶知安から札幌まで
車で2時間くらいかかったのが
ヘリだと確か、
20分で着いた。

爆破はしなかったが
体は動かないし
このままおれは
身体障害者とか
会社は辞めなきゃならんとか
そんな事考えていた。

しかしながらなんとか復帰。

ま、
1か月自宅療養したものの、
その後は両腕のギブス
外す前から仕事に復帰
させられましたけどね。

今思うと、
リハビリはままならなかったが、
いなくてはならない存在だったと。

あの頃がいろんな意味で
人生のピークだったんだろうなぁ。


あの頃はまだ、
死なんて考えたことも無かった。

しかし今のこの境遇では
もういつでも死んでも良いかなと。

そういうときに限って
生きながらえるんでしょうね。

4年前くらい、
胃に穴が開いて
悶苦しみながら
一人で救急車呼んで
緊急搬送され、
即手術となった時。
術後先生に、
脱水症状やらなにやらで
危ないところでしたよと。
その時は既に、
転落人生に踏み入れていた時
だった。


おれ、
生命力強いのか?