明日で阪神大震災から29年。明日からは30年目に入ります。
あっという間な期間。
当時成人式を終え、介護の学校に通っていた私。
学校が始まる朝でしたが、結局卒業式まで学校が閉鎖されました。
学生生活最後の想い出も避難所の中でしか記憶に残っていないのですが、
50歳になる今も、生きることを許され、三児にも恵まれ生活できていることに感謝。
全壊した家はもう空き地ですし、震災当日は本当にたくさんのご近所、知り合い、
お世話になった先生も亡くなりました。
今は神戸から離れて暮らしていますが、1月17日だけは特別な日。
前日の今日は地元で鎮魂歌のイベントに息子たちと参加してきます。
かれこれこどもたちが生まれてからずっとですから15年ほど。
三児が小さい頃は防災施設で勉強したり…
今も残る傷跡で話し合ったり…
学校でも家でも防災食について考えたり…
毎年、毎年積み重ねてきた三児との防災意識。
2024年元旦、能登半島地震。
今は現地に行けないけれど、
息子たちなりの小さな小さな行動として、神戸で募金をしていた。
自分の財布から…
いつか、もっと年齢を重ね、息子たちの行動範囲が広がった時、
積み重ねてきた経験や想いが社会の役に立っていけば良いなぁと思う。
29年前、当時の悲惨な状況から少しずつだけど、神戸の街も変化していき、
私自身も家族ができ、こどもたちがすくすく育ったこの期間。
能登を想いながら、1月17日を振り返ろうと思います。