【本質のひとつ『系ー個』連鎖。】
 
小難しいかもしれない。
でも、出来るだけわかりやすく説明するから
何か届けば嬉しい。
 
 
『系ー個』連鎖になった存在は、
存在でありながら、非実体。
 
存在として、系は個の集合がつくる『形』
故に、実体は個に求めることになる。
 
しかし、その個の存在を理解するには
系として存在することになる。
 
 
身体で、説明してみよう。
 
我々の『カラダ』を存在として立て
理解しようとする時に、
 
『カラダ』という系は
『上肢 下肢 体幹』という個に分けられ

『上肢 下肢 体幹』を存在として立て
理解するには
 
『上肢 下肢 体幹』が系となり
『骨格 筋 神経 リンパ 内臓』などが個
として分けられる。
 
 
さらに、
『骨格』を存在として……
 
ということの連続。
 
これが『系ー個』連鎖。である。
 
 
この連鎖は、
我々の認識によってどこまでも続く。
物理学でいう上限は『宇宙論』であり
下限は『量子論』
 
 
その昔は、『量子論』なんて知られてない時は
もっとマクロに近いものが、
下限として認識されていたはずだから。

我々がその存在を知るか知らないか、
それを限界にしてはいけない。
 
 
この、系ー個連鎖という繋がりこそが
社会の縮図であり
自然の営みであり
生命の繋がりである。

個の変化は系にも変化を起こし
系の変化は個にも変化を起こす。
  
個で起こる変化を系はその都度自己調整し
個がさらに自己調整を行う。
 
 
【有るものは、見えないものを伴っている。】
 
 
我々が治療家として名乗るのであれば
学ばなければいけないのは
 
解剖生理学のように
そこに何があるか。というような
クソ程学んで当たり前の内容ではない。
 
 
その都度起こる自己の位置どりの調整。
複雑な運動体の中の
個々に起こる単純な運動の複雑なネットワーク
 
それが今、目の前の身体の中で
どういったパターンで行われていて
 
それがどの系なのか、
その中の個との繋がり。
 
 
そして、それを
どのレベルの解像度で繋がりを
認識できているのか。
 
 
今触れている『有るもの』から
そこに伴っている『見えないもの』を
どこまで感じられている?
 
 
その繋がりの中で
本当に、『生命』と繋がった時
はじめて全てが見える世界がある。
 
 
知ってる風の治療家がいう
宇宙とか量子ほど安っぽい言葉はない。
 
本当の『生命』に直面したとき
言葉になんか出来やしない。
 
 
そんな簡単なら
世界のアーティストたちは
音や絵を使ってわざわざ表現したりしない。
 
 

その『生命』という繋がりの中にいることを
体感するということが『手当て』を通した

僕の表現。


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