謙信 遺骸の謎の続きです

春日山⇒会津⇒米沢 と移葬された謙信の遺骸

米沢に移された時は左右に善光寺一光三尊阿弥陀如来像と泥足毘沙門天像が安置されたと聞き及びます。

現在この善光寺一光三尊阿弥陀如来像と泥足毘沙門天像は米沢 法音寺に祭られています。

ここで、またまた謎なのが春日山 毘沙門堂にて謙信が信仰していた毘沙門像が上越市の春日山 林泉寺にもあるということです。

林泉寺宝物館は撮影禁止のため紹介できませんが現在の毘沙門堂内像と瓜二つです
$ライフスランプ
これは現在の春日山毘沙門堂

この毘沙門天像は米沢の泥足毘沙門天像の複製です。

では林泉寺の毘沙門像の由来はどうなってるのか実際に林泉寺宝物館 館長に聞いてみた。

館長の話しによると林泉寺は上杉家後、堀氏、榊原氏の菩提寺として暑く保護されてきており、

当時の宝物は寺を出ることなく、謙信が崇拝した春日山毘沙門堂の像は謙信没後、林泉寺に伝わったと話してました。

米沢の泥足毘沙門天像は修復に出されてるので少し新しく感じるが、見た目は林泉寺 毘沙門天像の方が年季を感じさせる。

現在発行されている書籍等の画像は、越後春日山林泉寺、米沢法音寺の像が共に掲載されています。

どちらの主張も譲りません。

林泉寺館長は「何で米沢のは泥足毘沙門天っていうんだろうね」と私に言ってきたので答えました。

泥足とは謙信が毘沙門堂へ上がったところ、驚いたことに、堂内には泥のついた足跡が毘沙門天像まで続いていた。

謙信は「毘沙門天が共に戦場を駆け巡ってくれた」と歓喜し、この毘沙門天像を「泥足毘沙門天」と呼ぶようになった

こう言う言い伝えから付いた名称だと私が館長に伝えたところ失笑されました。

言わなきゃ良かったと後悔しましたが、逆に無知じゃなく林泉寺が本物だと言う自信にも取れました。

どちらの毘沙門天像が謙信由来の本物かは今では証明するものがありません。

が、今後このことも含め新たな疑問、疑惑に気付くのです。

毘沙門天像はとりあえず保留し、次回は善光寺一光三尊阿弥陀如来像について語ります。