上杉謙信 天正6年(1578)3月9日 昏倒 、3月13日 死去 享年49歳

当時の古文書による死因は「不慮の虫気」とある

おそらくは脳卒中で倒れ、意識不明、4日後 死去

問題はこの後です

遺骸は甲冑を着け甕に収められ、漆で密閉し春日山城内不識院に安置される

甕はこういう感じかな
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この記述は古文書では確認できず、謙信没後しばらく経ってからの書物や現代書籍の記述である。

甕に漆を満たし密閉し不識院に埋葬

甕に収め、不識院に葬った

林泉寺に埋葬した などなど

書籍記述だけでこれだけ解釈が違う


「安置した」は置いたということで、「埋葬」や「葬った」という言葉は埋めたということになる。

不識院は建物なので甕を密閉して安置した が一番しっくりくる

林泉寺に謙信の墓があるがこれは墓じゃなく供養塔なのだ
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手前の小さな塔が当時のものらしい

高野山と林泉寺に分骨したという記述もあるが遺骸のまま甕に収めたら分骨しようがない。

林泉寺に勤めている某女性の方は高野山に遺骨があると言っていたが裏づけもなく自分の解釈を参拝者に伝えるなどとんでもないことだ。

その後、上杉景勝の国替えで会津へ、移封で米沢へ移動

米沢に至っては米沢城本丸、東南隅の堤上に米沢城下で最も高い場所として御堂が造られ、上杉謙信の遺骸を納めた。

謙信遺骸の左右には善光寺如来と泥足毘沙門像が奉置され、神聖な場所として江戸時代の間も厳重警備されてきたのである
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御堂跡
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本来、春日山 不識院もこれくらいの整備はしないとダメだろうと思うのは私だけだろうか・・・・・