ライフオーガナイザー高原真由美です。

昨日の続きです。

娘が1歳半で育児休業からフルタイム勤務で復帰し、

「やっぱ子供のおる女は、使えんなー」
……実際、こういうことを普通に言う人、多かったんですわ。今もかな?

と、言われないよう、必死こいて仕事ばっかりしていた、片付けが大の苦手の私の自宅はもう、本当に悲惨な状態になるのに、そう時間はかかりませんでした。


友達からの、「久々に家に遊びに行ってもいい?娘さんにも会いたいし

の、お誘いには、「ごっめーん仕事忙しすぎて休みの日はゆっくりしたいねん。また今度な

と、散らかっている家の片付けをすることが億劫で、微妙な言い訳でお茶を濁す日々。

もちろん実際のところ、日々持ち帰りの仕事もあったため、まじで休日は、寝かせてくれー、という気持ちもあったのですが、それでも家がすっきり片付いていたら、短時間でも親しい友人くらいとなら楽しい時間を過ごすという選択をしていたはず。


そんなかんじで家の中は大変な状況になっても見てみぬふり、仕事のことを優先し数年を過ごしていたわけで………。わかりやすくいうと、足の踏み場がない状態の部屋を、「今は忙しいし、そのうちやるし」を言い訳に放置プレイ状態というか。いや、まじで

うーん、あの頃には戻りたくない



仕事に復帰し1年半ほど経った頃、そこまで仕事をしていたらそれなりに成果もでるわけで(部屋は大変なままですが)、少しずつ職場で、「子供がいるけど、あいつは結構きっちり仕事してるかも」的な私に対する評価ができてきた頃。


夫がバイクで交通事故にあい、結果的に2年間の自宅療養をすることに………



事故の後すぐ手術が必要だったものの、命に別状はなく、ホッと一息ついたものの、その後2回の手術を要する、結構な怪我を負うはめに。

事故当時、娘は3歳になるかならないか。


今まで子育てや家事をがっつり手伝ってくれた夫の戦力外通告。

入院時にはお見舞いやら各種手続きやらと、普通に仕事と、娘の送迎やお世話、その他諸々。この時期は真剣に結構ヘロヘロになりましたね。


夫の3回の全身麻酔の手術時に、麻酔の同意書(麻酔で仮に死んでしまっても、責任はとれません的な)を書かされるたび、

もしこのまま夫が亡くなったり、元に戻らなかったりしたら、私は家族のために今の仕事をご機嫌にできるだろうか

ということを考えさせられました。もちろんその当時の仕事はやりがいもり、大好きな仕事でした。でも何年後かに職場の異動(=好きな仕事ができない)や、そもそも家族のために仕事を「しなければいけない(今まではしたい、だったのに)」となった場合、今までと同じように働けるのか。

そんなことをじっくり考えなければならない状況に追い込まれたわけで。


あっちなみに、夫の自宅療養の2年間は、さすがに足の踏み場はつくり、それなりに片付けもがんばりましたよまぁがんばったといっても、今から考えたら、ものを右から左に移動、隠せるところにとりあえあず放りこむ、といったなんちゃって片付け術を駆使していただけというか。



まぁそんなこんなで、仕事ではそれなりの成果を残しつつもプライベートでは悶々とした日々が続いていた私。

このあたりの詳細ははしょりますが、要は会社(=給料と労働時間)に依存しない働き方をしないと、そのうち会社員として働くことに対して嫌気がさすかもと感じ、結果的に週末起業をやってみようという結論に至ったわけです。

うーん、書いてると長くなるなー。ということでこの時期の

→詳細エピソードはこちらから


その週末起業時代にこの人との運命の出逢い(笑)があり、自分たちが欲する

片付けが苦手な人が無理なく片付けられる、その人自身にあった方法と維持しやすい環境を整えるサポートをする

というサービスの提供を開始したわけで。それが当時の「楽カジ.com」でした。


この週末起業を通じ、単なる家事代行(片付けの代行)の仕事ではない、どちらかというとコンサルティングの要素の強いこの仕事に大きな潜在需要を感じとり、

この仕事はこれから絶対必要
特に私たちのような片付けが苦手なワーキングマザーや女性に!

と手応えを感じるとともに、私たち二人がどんだけがんばっても所詮サポートできる人はしれている、という現実を痛感することになり。(これはインテリアコーディネーターとしていくらがんばっても12年間で600件程度しか手がけられなかったことで感じました。伊インテリアコーディネーターはすでに約50,000人の資格取得者がいる職業ですが、片付け整理の仕事をする人が当時どれだけいたかというと………。)


と、悶々としている時に、アメリカのプロのオーガナイザーという仕事と、NAPO(アメリカのオーガナイザーの最大の団体)の存在を知ったわけです。



これやん

そやねん。私は片付けが得意だから、とか好きだからという理由でこの仕事をしているわけやない。自分みたいに苦手な人がどうしていいかわからない時、誰か手伝ってほしい、なんとかしてほしい、と思った時に優しくよりそい、決して怒らず(苦笑)プロの意見や手法を押し付けるのではなく、しっかり話を聞いてくれ状況を把握し、ご機嫌さんで快適になるためのお手伝いをしてくれる人、そんな仕事をしたい、そしてそんな仕事をする人を職業として確立したい。

そんなふうにつよーく思ってしまったんです
これが私がライフオーガナイザーとなったきっかけです。
その後、ライフオーガナイザーとして週末起業を続けつつ、一般社団法人日本ライフオーガナイザー協会を設立するに至った話はまた別途。




↑ ↑ ↑ ↑ ↑
チャリティイベントではこのライフオーガナイザー達が集結します音譜