今日は、東日本大震災から丁度、3年目ですね。
ここで新ためて、震災でお亡くなりになった方、被害に合われた方に謹んでお祈り申し上げます。
数日前からテレビやネットなどでも色々と震災の特集などが組まれ、当時の事が生々しく思い出されてきています。
震災の事、それ自体については決して忘れる事など出来ようもない事です。
また自分の人生に限ってみても、3年前の今日を境にそれ以前と、それ以後では確実に人生に於いて何かが変わった事を実感しています。
それらを思いつくままに書いて纏めたくなったので、久しぶりに筆を執りました。
【ただ生きている、という事が当たり前ではなくなった】
人生はいつかは終わりますよね。でも誰でも不治の病にでも罹らない限り、日常では生きている事、は当たり前の事として漫然と過ごしがちではないでしょうか。
「時間をつぶす」なんて言葉があるくらいですから。でも震災は昨日まで普通に生活していた人たちのこれからの時間を一瞬で奪いました。これくらいの事が起きないとなかなか気が付けない人間にも困った物ですが本当に、今、この瞬間を生きていられるという事は奇跡の時間なんだという事を頭のてっぺんからつま先まで思い知らされました。
【世の中はずっと同じではない】
仏教用語で諸行無常という言葉がありますね。まさにタイトルと同じ意味です。でも変化はゆっくりしているものなので気が付かずに過ごしがちですよね。今日という日と、一週間後の日はほとんど同じに見える。でも3年経過してみると色々なことが変わっているという事に気が付く。
これはどういう事かというと、今あるものを当然と思ってはいけないという事ですよね。
人は失ってから大事なものに気が付く、という非常にばかっぽい性質があります。
その最たるものは、人はいつか死ぬのは分かっているのに、自分の両親や最愛の人は当面いてくれるだろうと信じ込んでいたりする。
しかしそうではない。という事をいやというほど思い知らされました。
【生きているられるだけで奇跡、だという事。そして感謝。】
繰り返しになりますがこの世に生を受け、そして今ここにこうして生きていられることは本当に奇跡です。
もちろん、人間ですから+αを求めるのも当然です。その場合、「自分にしか出来ない事」を探していく事が人生だと考えます。
よく会社の仕事の引継ぎをバトンタッチと表現しますが、人生もまさに同じです。先輩方のバトンをこれからの走者が引き継ぐだけです。できれば失敗したくないですが、たまにバトンを落としてしまったりなくしてしまったりしてもいいと思います。その場合は自分で代わりのバトンを作ればいいだけですから。
最後に。
あの震災の日から今日まで。
本当に大事なものは何か?今、必要と思っているものは本当に必要な物なのか?
こういった事がより明確になったように思います。
やはり人生は時間という有限のルールに縛られている以上、プライオリティーが大切です。
そして震災そのものはとても悲しすぎる出来事でしたが、唯一の希望はそれまで当たり前と感じて見過ごしていた大事なものを当たり前と感じなくなった。という事だと思います。
メーテルリンクの青い鳥、はやはりいつでも足元にいるんですよね。
