これまでのアナンの軌跡(全部読んでもらいたいです) | アナン何なん、アナンなん!?

アナン何なん、アナンなん!?

明治大学一年生...
現在「アナン」都内各所シンガーソングラーターとして活動中...


私、アナンは、もともとはピアノをやってて、音楽はものすごい嫌いでした。。。



音楽が好きになり始めたのは、ハモネプでした

人の声の可能性の広さに8歳の僕は驚きました。。。



そのご、独学でピアノばっかり、、、

なぜならめちゃめちゃ音痴だったからドクロ

でも歌うことが好きで、自分の声が音楽になっていくのがうれしくてしょぼん



本気で歌いたいて思ったのが高校一年、

クラスで群を抜いてうまかった子の声。

その頃私はそんなにうまくなかったのに、「悔しい」って感情が起こりました。。。



そして、バンドを授業で強制的に組まされて初めてギターを触った。。。



ただの開放弦を弾いたとき、鳥肌っていうか、なんかめちゃめちゃうれしかったチョキ

ピアノの場合、鍵盤を挟んだ間接的な音だったんですが、

ギターは直接触れる、、、

僕の音だと言える。。。



そのご、部活(テニス)はヘルニアで早期引退。。。

家庭でも学校でもいろいろなことがあり、鬱になってた頃、

ギターは最高の友達だったクラッカー



自転車での帰り道、交差点、親友(面と向かっては言えないが・・・)に「なんかユニット組まねえ?」と誘ったら

いつもはそんなことに興味ないあいつが「オッケー」



初めてのオリジナル「最後の手紙(今は「ラスレター」という名前に変更)」を作った

僕もあいつも、いつもはそんなに感情的ではないのにmmm

初文化祭ライブ・・・泣いた



学校は特殊な形をして、その中でも一番わかりにくい場所にあった僕らのステージ

開始一分前。。。



もぬけの殻



まあわかってたこと、時間が来た



一人入ってきた、どうやらほんとに行く場所がなくてここに来たらしい。見知らぬおばさんだった

あいつはどう思ったか知らないが、俺は、その人のために最初の曲を歌った。



目を閉じて歌う習性があった僕には、歌い終わっても正直目をあけたくなかった


一曲目。螺旋(スキマスイッチ)終了。。。



目を開ければ



満席の会場。。。




その後も最後もまで席が空くことはなかった

立ち見もいた



最後の曲、奏(スキマスイッチ)



俺とあいつの思い出の曲、二人とも大サビで泣いた



それが高校二年のとき、高校三年は親友とは組まなかったがいい音楽仲間と組んだ

その時大活躍したのが、T野・H本N次・太郎

最初の二人は熱心な客入れ、太郎は自分の仕事がありながらも曲を聴いてくれた



親友は、受験勉強、



今言えることだが、ほんとは二人でプロを目指したかった、

が、俺はあいつの性格を一番知ってる

一人で頑張って、またいつか組もうと心に誓った



映画見に行ったり、スマブラしたり、馬鹿ばっかやった高校生活、、、



みんなは九州や、関西の大学に入ったが、あえて関東、東京に行った

プロを目指す、本気だった



目指すきっかけが、高校二年の文化祭

さいごの練習終了後、四階の練習場から窓を開けて下を見ると、

大量の生徒が聴いてた。



その瞬間、聴いてもらううれしさを覚えた。



そして、プロになって、今まで出会えた人に最高の曲が届くような歌手になって、見てもらおうと決めた。。。



無事、明治大学合格。



だけど、仲のいいやつすべてが願った場所に行ってはない。。。

明治大学合格の手紙をみても、あまりうれしくなかった。



そしてできたのが「take off」


「小さな町で たくさんの人と

 多くのことを かかわってきたから

 立てなくて 立ちたくなくて

 それでも涙 流れなくて」


あれは僕の心そのままの、自分でもいえる名曲になった。

今度このブログに歌詞載せます。



上京するための新幹線、

最後に親友に会うために京都へ



最後の高校生活だった



なんか偶然にも京都で中学の先生にもあった。



そのせいか、上京の実感がなかった。



上京後、東京の怖さがわかった。

なんていうか、言葉で言い表せないもの、、、

「夢がそこらじゅうに放置されている状態」



怖さを押しのけ、明治大学入学



サークル「street」にも落ち着く場所を見つけ、すこしあんしんして、活動を開始した



シンガーソングライター「アナン」



自分でも背伸びし過ぎなくらいに上京してから進展しました




四月にこちらに上京して、四月の終わりには初ライブの日程が組まれて、



サークル内でも、いろいろな人と仲良くなり、そのたびに曲をつくって形にしたりました。



六月にはImix Ekodaでの初ライブ。

トラブルや不具合の連続で、一分一秒が勉強でした



また同じ月にサークル内でもライブ。

いろんなバリエーションの音楽とふれあえました。



代々木公園での路上ライブ(サークルの人と行ったり、一人で行ったり)

一人で行った時、ギター弾いてるだけで止まっていただいた時、泣きそうでした音譜


ボーリングの加速度的上達(笑)

単位の大暴落(泣)



とにかく、変わらないことは、四階からみたあの笑顔をもう一度見たい、プロになりたいってのが一番。



僕の曲「明日会おう」の一節


「へたくそな歌では  やっていける気はしないけど

 歌でしか表せない  想いとか多すぎて、

 飛び越せない壁ですら  よじ登り外を見たくて

 笑ったり泣きもして  これから楽しみたいから

 ・・・歌を歌うんだ」



この一節が僕の音楽を続ける理由です。



これから音楽を仕事にしようする僕に、大量の壁が待ってると思います


正直いつ遮られて、音楽を辞めるかわかりません。


僕の夢を真っ向から否定されたり、馬鹿にされたことも幾度となくありました



でも



音楽を辞める時、「自分はよくやった」って言える音楽をしたいです!!



これが僕です



ながながとすいません。



でも



。。。



これが僕です、



頑張ります