フィリピンの方の愛は深い。
という投稿をSNSで見た。
それは私も仕事で現地に行ったり、
直接日本で会うにつけ、
心から実感するところ。
20代の頃は、その愛の深さを、
未熟な私は捉えることができなかったなぁと反省する日々。
いろいろ分かるようになったからかな。
それから自分の傷を見つめられたということも大きい。
人を大切にしたいという欲求があり、
私の前では笑顔でいて欲しい、
笑顔で心地よくいられるように
自然に動いてしまう性。
心配性でおせっかい。
いろいろ気づく分、
相手の問題にもついつい口を出してしまう。
日本の文脈だと悪く聞こえるんだけど、
国が変わればそうでもないのよね。
自分の表現の仕方さえ変えれば、
自分が自分に心地よくいられる。
日本人は冷たいというけれど、
私もそう思うところ。
わきでんばかりの、気遣いや「与える」ということを
こっすい感情に利用されないという安心感が、
アジアの一部の国にはある。
むしろ、感謝されるし、
自分を大切にしてもらえる。
外国だからということもあるんだけど、
自分に対して別の形で返ってくるという
絶対的な信頼がある。
(そこに男性が恋愛を持ち込んでくると、
また別の話になって、警戒しないといけないんだけど)
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愛するということを徹底的にやってないんじゃないかという
自分の未熟さを知る。
愛することを徹底的にやっていれば
利用されても、相手に傷を残すことができる。
(いや、違うか?)
これだけ愛することをしてくれている人がいるのに、
自分はその人を、自分の人格的未熟さを用いて
利用するのだから、
相手に傷が残る。
きっといいことは返ってこない。
まだまだ愛する力が弱いから、
私はこうも、傷つけられたーだのなんだの
いうのかもしれない。
愛しきった先には統合が待っていて
そこまでいけば
何をされたかなんていうのは
多分関係なくなるんじゃないか。
濃度高く、力強く、愛するということをやってみたい。
愛されるということもまた、
私にとっては力を使うことで、
愛されることもまた愛することの一つなのだと、
いい加減、身体に覚えさせたい。
まだまだ、完全な人間になるには
ほど遠いようだ。