西本幸雄さん死去=阪急監督などで優勝8回―91歳
時事通信 11月25日(金)22時36分配信
プロ野球の阪急などで監督を務め、パ・リーグ優勝を8回果たした名将、西本幸雄(にしもと・ゆきお)さんが25日午後8時40分、心不全のため兵庫県宝塚市の自宅で死去した。91歳だった。葬儀の日取りなどは未定。
家族によると、3年前から腎臓などを患い、最近は腰の骨折で入院したが、10月3日に退院し自宅療養していた。
和歌山市出身。立教大で一塁を守り主将を務めた。戦後、大分県別府市の星野組に入り、一塁手兼監督として活躍、1949年の都市対抗野球で優勝した。
50年、毎日オリオンズ結成時に入団し、55年に現役引退。60年に大毎監督となってパ・リーグ優勝を果たしたが、采配をめぐってオーナーとトラブルになり退任。63~73年に阪急監督で5回、74~81年に近鉄監督で2回パを制したが、日本シリーズでは1度も優勝できず、「悲運の闘将」と呼ばれた。監督通算1384勝(1163敗118分け)は歴代6位。
選手の心をつかみ、努力型の選手を開花させる監督術は、巨人で9連覇を果たした川上哲治監督の「川上管理野球」に対し、「西本にんげん野球」とも評され、多くの選手に慕われた。88年野球殿堂入り。
時事通信 11月25日(金)22時36分配信
プロ野球の阪急などで監督を務め、パ・リーグ優勝を8回果たした名将、西本幸雄(にしもと・ゆきお)さんが25日午後8時40分、心不全のため兵庫県宝塚市の自宅で死去した。91歳だった。葬儀の日取りなどは未定。
家族によると、3年前から腎臓などを患い、最近は腰の骨折で入院したが、10月3日に退院し自宅療養していた。
和歌山市出身。立教大で一塁を守り主将を務めた。戦後、大分県別府市の星野組に入り、一塁手兼監督として活躍、1949年の都市対抗野球で優勝した。
50年、毎日オリオンズ結成時に入団し、55年に現役引退。60年に大毎監督となってパ・リーグ優勝を果たしたが、采配をめぐってオーナーとトラブルになり退任。63~73年に阪急監督で5回、74~81年に近鉄監督で2回パを制したが、日本シリーズでは1度も優勝できず、「悲運の闘将」と呼ばれた。監督通算1384勝(1163敗118分け)は歴代6位。
選手の心をつかみ、努力型の選手を開花させる監督術は、巨人で9連覇を果たした川上哲治監督の「川上管理野球」に対し、「西本にんげん野球」とも評され、多くの選手に慕われた。88年野球殿堂入り。

